…だけど

大学のある街に住んでいるので、路地から外に出ると学生がてんこ盛り。みな元気で、若者らしい初々しさも含まれたエネルギーに溢れていて、要するに賑やかだ。

穴八幡神社のある交差点を斜めに挟んで文学部と本学部、大隈講堂等が広がっていて、授業のある時間帯は学生、研究者、職員などが街を大移動する時間帯でもある。

春の、まだ授業選択と受講の登録などの手続きが続いているらしい頃だった。速歩で学生達を蹴散らしそうな勢いで歩いていたとき、道向こうを歩いていた男子学生と私の前を文学部に入ろうとした男子学生が「おー、〇〇!」「おー、元気?」と会話し始めた。

「ゼミ、何とった?」

「△△にした」

「ああ、〇〇先生ね。去年授業とったよ」

「どう?〇〇先生」

「うーん。いい先生だけど、眠い」

「そうか。じゃあな」

「うん、じゃあな」

情報交換は一瞬で終わって、彼らはそれぞれの方向に元気に歩いて行ったのだが、私はマスクの下で笑ってしまった。マスクをしていて良かった。

〇〇先生ご自身またはご同僚の先生方が聞いてなかったことを祈りながら、それにしても、と思った。いい先生、だけど、眠い。この一文は前半と後半とで評価が変化している。「いい先生」は人物評価ということになり、「眠い」は授業やゼミ運営の力量評価となる。いい先生(いい人)の規定は難しいものの、学生に「いい先生」と思われる優しい人間性であることはひとまず価値として大きいかもしれない。職業上の力量はいくらでも上げられるはずだ。〇〇先生が10年後くらいに「いい先生で凄い先生」になること、そして2人の若者がやがては往来で大声で人物評を交わさない大人になること、などを期待しながら我が路地裏に帰り着いた。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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