医療への想い

脊柱管狭窄症で家人がいまごろ手術中。

食べる、飲むは底なしで、布団に入れば2秒で熟睡し「将来への不安?他者からの評価?生活上の悩み?無いです」と即答できるご仁なので、おそらく昨夜も今朝も手術の成否への不安はなく、医療者の指示に素直に従って過ごしたに違いない。娘と3人のグループLINEには「初めての病院食。とても美味しいのでびっくりです」と写真付きで、まるで旅先からのグルメレポートみたいな投稿があった。娘からはいいね!マークが送られ、もちろん私は「ただの既読」。一方で私は写真を拡大して眺め、JCOの管理栄養士さんや調理ご担当者さんに感謝するばかり。

入院のための荷物を持って病院に付き添い、では、と看護師さん達にご挨拶してからの帰り道に私が思い描いたのは、医療側の様相だった。3年前くらいから片足の痺れから通院を開始して、以来ゆっくりと手術の決定へとお付き合いくださった担当の先生。そして先生からの依頼で手術を引き受けられた外科チームと執刀の先生。いずれにもお会いしたことはないが、我が家人の手術に向けて準備を集中して来たことになる。今朝は執刀の先生は、本日の家人の手術を脳裏におきながら起床し、出勤されたことと思う。

いささかだが医療の高度化を感じられる立場にある。医師や看護師がどのような働き手であるかを少し、知っている。医療が薬や手術器具などとその開発チームや実臨床へと運ぶ担い手などで構成されていることも、素人ながら理解できている。

なので、私が現在進行中の手術室に馳せる想いは、集学的医療の結集に感謝と期待、かな。やや普通の家族とは違うかもしれない。そして当人にこれから期待するのは、せっかく最先端の医療技術に対応してもらえたのだから今後はリハビリに励むこと。今の医療が決定的な治療から始まる次のステップも備えていることを、多くの友人から教えてもらっているのだ。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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