聴くひとのための黄金律8か条

がん患者さんとその家族対象の電話相談をおよそ25年続けて、受付件数は優に累積3万件超だったと思う。最初の運営母体は厚生科学研究で、開設は1997年だった。研究期間が終わって閉めた後に別の法人の運営資金提供となり、約5年後に別の法人の主催へと移って7年間継続したのだった。

今でも同じだと思うが、「相談員」という立場の「職業訓練機関」は世の中には無い。何かの理由で電話なり対面によって「その領域の対象者」の訴えを聴くことになる立場、それが結果として「聴くひと」になるのだと思う。

ところで私が最初に関わった電話相談業務は「骨髄バンクに電話相談業務をくっつけてみよう」(そんな軽い文脈で研究目的が書かれたとは思えないが)とのことだった。ある日、その研究班の班長である血液内科の先生から呼び出しがあった。当時は骨髄バンクが稼働して6年が経過し、登録者も10万人に達しようとしていた。いわゆる順風満帆で発展途上にあり、非血縁骨髄移植も症例数が増え続けていた。一方私はと言えば、つばさの情報提供活動は毎年少しずつ需要が広がり、私的には愛児を喪った家族の交流を日本各地で開催して仲間創りにも余念がなかった。つまりそれなりに毎日が充実していたのだ。そんな私を呼んで、班長の先生が「移植を受けることになるかもしれない患者さん達が、とりわけ費用の問題で治療を断念することがあってはならないと思うが、実際はどうか(当時は未だ造血細胞移植は保険適用ではなかった)、不安や悩みを聴く電話相談を起ち上げたい。ついてはあなた(私)にその業務を担ってほしい」とのことだった。

私は即、「先生、私はいま私なりに幸せですので、ほかの方をお呼びください。ほら〇〇さんとか、△△さんなど、喜んで受けるでしょう」。でも誰がどうみても〇〇さん、△△さんなどが当事者の悩みに耳を傾けることはなさそうだ。班長の先生はそんなことはお見通しだった。「橋本さん、自分だけ心の安寧に浸っていようと思っていてはダメだ。お互いに、求められたことはしなくちゃ」と意に介さない。

そうして私の長い電話相談業務との関りが開始する。最初は経歴も立場もいろいろな女性が10人ほど集まって来て、2か月くらいで私は「主任」に就くことになった。皆で文字通り、手探りで懸命に受話器の向こうの声に耳を傾け、文字化し、報告を交わしてスキルアップしていくことになる。私は電話のこちらで「対応していた」が、小児がんの子の母だったこと、骨髄バンク設立を社会に訴える立場だったこと、子を喪い深層に混迷を抱えていること、等で「当事者の側でもあった。

やがて相談件数と相談員さんたちとの振り返りを1万件、2万件と重ねていくうちに気づいたことは、相談者さんが満足して電話を終えるとき、相談員も満足(手ごたえ)をもらえるということだ。その満足に至れる聴き方には、基調となるリズム、法則がある。その法則(黄金律)を整理してみると8か条に分けられる。(次項へ続く)

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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