息災を祈ろう
4月に入って間もなく四国に住むKさんに送った手紙が戻って来てしまった。手紙は私(つばさ)の活動への励ましが本当にありがたい、という内容だったが、長いお付き合いの年月、手紙で連絡をしたのは初めてだった。今春、Kさんからの年賀状が届いてなかったからだ。
「ニュースレターが届くといつも真っ先にコーヒータイムを読みます」「(激甚台風がニュースになり始めた年)何とか無事に過ごしております」等、穏やかなお人柄をしのばせる字体の添え書きが毎年嬉しかった。年賀状の中にKさんからの無いことに気づいて、どうしたのだろうか、と思いつつ、例年は11月末ころに完了するフォーラム・セミナーが23年分は24年3月の沖縄を残していたこともあり、年末年始も活動の切り替えをしないまま過ごしていた。そんな忙しない心情が沖縄の明るい光や温かい風に包まれてようやく落ち着き、Kさんに首里城で買った絵葉書に「お年賀状は届きませんでしたが、息災でおられますか」と書いたのだった。でも何か書き足りない気がして、東京に帰ってから改めて「年賀状を止める方も多い昨今ですので、そういうご事情でしたらこの絵葉書も手紙もご放念くださいね。そしてまた、そういうことでしたら長いお付き合いに感謝しつつ、これからもKさんのご息災を祈り続けます」という手紙を書き、絵葉書も同封して投函したとき、カレンダーは4月に入っていた。
改めて事務局にKさんからNewsletterひろばが送り返されてないか尋ねてみると、それはない、ということだった。そういえば年賀状も返送されては来なかったのだ。そうか、Newsletterも年賀状も受け取ってはもらえている。だとしても、Kさんは転居されて1年以上過ぎているのかもしれない。そこまで推測を重ねながら、IT技術者だったKさんがエクセルもろくに使えない私を援助してくださった日々、晩期合併症のために四国へ帰られてからも連絡が途絶えなかったことの嬉しさと心強さなどを思って、胸がいっぱいになった。
でも私のその想いとKさんのご事情は別、のはず。「直接お礼が言いたい」としても、それが場合によっては私の身勝手になるかもしれない。私が私のスタンスを崩さずサクサク歩いていることに、Kさんは「橋本らしいな」と感じて、Kさんなりの応援を送ってくれていたのだろう。それが何か事情が変わり、Kさんは住まいや暮らし方を少し変えたのだ。そうであるなら…、として、これからも私はKさんが息災でありますように、とただそれを祈ろうと思う。
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