母のこころ、寄せ合って

 まだ本当に若い頃、大学生時代に、ソ連時代のロシアで創られた「誓いの休暇」という映画を観た。ソホーズで働く母のもとに、前線で戦争に参加している息子が一瞬だけ会いに帰ってくる。本当は6日間あった休暇だが、優しい青年アリョーシャは移動の途中での出会いや頼まれごとをおろそかにできず、休暇日数を消費しまったのだ。アリョーシャを見かけた村人たちは、母親に大急ぎで「アリョーシャが帰って来たぞ」と伝えに走る。息子が村はずれにいることを知った母親が、「アリョーシャーーー」と名を呼びながら、丘やシラカバ林を駆け抜ける姿が印象深い。「戦争が終わったら帰ってくるから」と言い残してアリョーシャは去り、そしてついに帰還しない。ラストは、村はずれに立ち続ける母の姿で終わる。

 学生だった私は、息子が帰ってこない母を「寂しそうだな」と思ったものの、息子のアリョーシャや、ほんの一時心を通わせて引き裂かれる少女などへの想い入れの方が強かったかもしれない。あるいはこの映画を、自分が母親になるまであまり思い出さなかったかもしれない。

 もう少し後の1981年に観た映画「愛と悲しみのボレロ」では、既に母親になっていた私は、主人公やその周囲の人物よりも、主人公の母親に痛く想い入れを持って観た。

 ナチスのオーストリアのマウトハウゼン強制収容所に送られる貨車の中で、若い夫婦が小声で言い争う。まだ本当に小さなあかちゃんを抱いた妻に、夫が「いや、連れて行かない方がいい。直ぐに殺されてしまうだろう」と言って、嫌がる妻からあかちゃんを奪い取るようにして、そろりそろりと貨車から線路上に降ろすのだった。フランスの最後の駅、ディジョン。夜のとばりの中で、あかちゃんは自転車に乗った男に保護されるが、男はおくるみに託された金や名前が書かれた手紙などを全て奪い、あかちゃんを少し離れたところにある教会に。一方、マウトハウゼンに着いた夫婦は男女別々の棟へと引き裂かれ、妻は強制労働へ仲間を駆り出すための楽団に入れられる。夫婦は共に、音楽家だったのだ。終戦後まで生き延びた母親は息子を降ろした駅に立って、周辺を訪ね歩くがようとして息子の消息はわからず、やがて心が壊れて精神病院に住まうように。

 一方、青年となった主人公は、養父がいくら言っても音楽ばかりやっていて、仕事に精を出さない。それがやがて母親の病院からの連絡で、親子関係がわかる。養父が言う「どうりで、音楽にばかり興味があったはずだ」。

 1993年からおよそ20年間、「めんどりの集い」で子を想う母の心を寄せ合って過ごした。あの日々に、心から感謝している。この夏、久々愛知のかあさん仲間から「いちばん辛い年月を一緒に過ごしてくださったことに、今も感謝しています」というお手紙をいただいた。いえいえ、私のほうこそ。つばさの理事長職、結構忙しくて(と言い訳して)お返事が出せないので、ここに綴っております。母のこころを、一つだけ持っている真珠のように、そっと掌に包んで。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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