母の心で

つばさの活動スタイルって、母の視点だったのね、とやっと得心した今日この頃。それを「私、母の想いでつばさの企画・運営をしてきたのね」と、20年ほどつばさでボランティアを続けてくれている若い人にお話したら、一瞬「?」と沈黙されてしまった。そして、「ずっとそう思っていましたけど」と、笑うのだった。

そう、なのだが。私も笑って少し遠くを見て、そして30年ほど昔に記憶を走らせ、たくさんのお会いした人々を思い浮かべて、やはり「うん、今さらながら得心したのだよ」と胸を張って言ってみた。

近年は、SNSを起点にして誰もがかなり自由に活発に医療・福祉・政治等の社会活動を展開できるようになった。元気にいろいろなアクティビティーを展開して、がんサバイバーと呼ばれる人たちの活躍は賑やかでさえある。

1986年に息子が白血病と診断されて、骨髄バンクを設立する命題が降りかかってきた。当時は骨髄移植という治療法も、ましてや骨髄バンクなどという言葉さえ社会に認識できる人はほとんどいなかった。そこで、この母は無我夢中で東奔西走を開始することになったのだった。結果は、1989年夏ごろに「骨髄バンク設立請願署名77万人分」が集まって、それを国会に提出。同年11月の国会で「設立承認」となった。そう列記してみるとすらすらと物事は運んだようだし、事実、市民ボランティアはもちろん、報道も行政も政治も協力を惜しまなかった。しかし何も知らない一介の若い母親にとって、心理的な負担は膨大だった。まして小児がんの子を抱えているのだ。ただ、その母親を「物心両面」から支えてくれたものがあった。小児慢性特定疾患の制度で、手続きをすれば、入院も治療費も無料となる。我が子を救ってくれるかもしれない医学(薬)もシステム(骨髄バンク)もない!という八方ふさがりの心情にとって、「この救済制度」の存在と意義は偉大だった。

そしてもちろん多くの人にも支えられて、骨髄バンクは発足する。そこで私は、’設立運動に走っている間、私は(骨髄バンク以外に)何を求めていただろう’、と思った。答えはたった1つだった。医学的な説明をわかる言葉で納得したかった。白血病って、何?骨髄移植って、何をすること?そしてそれを、今わからないで苦しんでいる「診断されたばかりの人達」と共に学んで知識を共有したいと思ったのだった。

そうして1993年くらいから、主に臨床の先生方を招いて「学ぶ場の提供」を開始して、現在(いま)に至る。それからずっと「場」の提供をし続けているのだが、1997年からもう一つ「当事者の混乱を、聴くことで鎮める支援・電話相談」を開始して、それも形をかえつつ現在に至る。

この「場」の提供と、心を受け止める相談対応は、思えばなかなかのお母さん的行動ではないか。1990年代の終わりころまではがん治療の成績がいまほど高くなくて、当事者の活躍がむずかしたったからかもしれない。当事者支援は私のような母親(父親も)が頑張っている姿が多かった。

それが2000年代にはいると、急速にがん治療の成績が向上する。分子標的薬や抗体薬、様々な支持薬、治療法の開発など、サバイバーが活躍する条件が大きく広がった。同時に、前述したようにSNSの発達で、個人が活躍開始を社会に告げる手間がほぼ要らなくなったことも大きい。社会への発信や連絡ツールの発達で、ネット上の患者会が成立しやすくなった。2005年ころから、団体の代表者が患者本人も珍しくなくなって、そしてサバイバーの団体の数が爆発的に増えて、にぎやかになったのだった。

この経緯の中、私はばくぜんと「つばさを患者会と言われると、なんだか違和感」と思っていた。訊かれもしないのに「支援団体です!」と、ちょっと力んで言ってみたりもしていた。がん患者団体の横のつながりにも、「みなさんの趣旨と少し合わないかも」という想いで一線を画した(方が良いと思った)こともある。

当事者の会を惜しみなく応援するのだが、そういう心の中での線引きを、顔には出さないつもりが力みになっていて、「つばさって、怖い」と思われてないかな、などと緊張していた時期もある。以上、正直な気持ちです。怖いと思った人がいたら、ごめんなさいね。

「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った」(宮川さとし氏)を読んで、宮川氏の想いの深さに「このお母さんは、母としての旅路を完了なさったな…」と感動したのだが、母とはそういうことだ。私はまだ、母の旅路の半ば。知(さとる)のために造った日本骨髄バンクにもっと貢献しないと。そして同時に、医療・福祉で働く素敵な人々と一緒に、学びの場の提供を続けたい。

なにより知の妹の子育てを、もう少し応援して、知によく似た男の子たちが「ばあばってさあ、こういう人だったんだよ」と思い出話が語れるくらいの年齢になるまで、生きなくちゃならない。

この旅をこれからも、母達と連動して、語り合って、支え合って生きたい、とせつに思う。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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