貯友
貯金は銀行や郵便局にするものだが、貯友は心の奥に積み立てていくもの。私はそう思う。
ただし、友達をたいせつに、いつまでも仲良くね、などという意味ではない。そんなことは物理的にも心理的にも無理で、むしろ逆に千変万化、ものみな変わるし時は過ぎゆく、が真実だろう。そうではなくて、幼児期、思春期、青年期、学校でクラブ活動で仕事で趣味の繋がりで、関わり合ったひと(時々の友人)と本気で付き合うことのたいせつさ、熱量高い記憶は生涯の後半になってからの宝となる、と思うのだ。
幼稚園のころに、親同士が「兄弟よりも好きだって」と笑い合うほど仲が良かった友達とも、年齢が進むにつれて縁が薄れ、やがて名前も忘れてしまうことすらある。中学や高校でも、あるいは大学でも同じように、別の道に進むにしたがって友人も入れ替わる。
でも、だからこそか、仕事や学びの場や習い事などで濃厚に接する人たちと、本気で関わってほしい。喧嘩して別れてそれっきりの人とも、もしその時の言い分がお互いに本気だったなら、それがいつかお互いを大人に育ててくれるはずだ。あの場に戻ってあやまりたい(気分)でもいいし、やっぱりどうしてもあいつはおかしい(と思い続けて20年目)でもいい。実は人の記憶は曖昧で、Aと喧嘩して「自分の言いたいことをAは否定した」と思っていても、本当はその時に反論していたのはBかもしれない。たいせつなのは、その時々、友人(仲間たち)と本気で関わっていたことだ。そして、あやまりには行かなくて良いし、「やっぱりおかしいぜ」と、言いに行かないほうが良い。
そんな関係をその年代なりに広く厚く築きつつ、大人になってほしいと思う。切磋琢磨などというと青臭いが、どの領域でも、成長過程でしか手に入らないものがある。おとなしく傷つかないように箱に入ったままでは、心の糧を育てることは無理だ。
ある年齢になって、そこからは自身が新たに経験を積むのではなく、次の世代に経験を伝えることが責務の時期がいつか来る。その時、心の中にたくさんの経験則が積み重なっていることで、後輩たちの今の苦しみや悩みや悲しみに理解を寄せることができる。時代は移り、誰もがいつかは大人の世代になるのだから、その日まで、たくさんの人との関り、たくさん貯友してほしいと、若い友人たちに期待している。
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