数字
私の好きな数字は7だが、理由を訊かれても「なんとなく、好き」。おそらく、メディアやどこかでの見聞で7はラッキーナンバー、と知った気がしているだけだと思う。ラッキーセヴン、という響きを何度も耳に目にしているから、世界のおおよその国で、良い数字としているのではないだろうか。
では、苦手な数字は?日本人なら、日本語の響きから「4」は忌む数字かもしれない。そのことに、あまり頓着してなかったころのこと。そうは言ってもずっと以前ではない。つばさのフォーラムの講演終了後に、参加者の中の希望者と講師の先生方との「個別相談会」をサービスしていた時期だから、10年くらい前までのことだ。個別相談では、先生方に個室を設営してそこにお座りいただき、相談を申し込んだ患者さんに待っていていただいて順にスタッフがお呼びする、という仕組みだった。お名前で呼ぶと個人情報に触れることになるので、相談受付に番号を振った(スタッフ皆で、割り振りの作業をして)。ある時、待っていた患者さんが私に、戸惑った様子で「あの、この番号ですか?」と言う。手元には、4番の紙が広げられている。私は患者・家族だったことがあるので、気持ちが即わかった。命の危険にさらされている時は、どんな小さなことも心に突き刺さるものだ。私は理解したが、その番号は間もなく呼び出される。先生方は、講演のあとのお疲れも厭わず、患者さんに応えようとしている。傍で見ていても、個別相談での血液内科の先生方の熱意あふれるアドバイスを受けた患者・家族の方々の表情は、間違いなく明るくなる。こだわって混乱を招くよりも、ともかく先生の前に座っていただいた方がよいだろうと思った。そこで私は、できるだけさりげなく明るく、「はい。もう直ぐです。資料などお持ちですよね?ほら、呼ばれてますよ」と背中を押したのだった。内心で、ああ、本当に申し訳ないことだったなあ、と思いながら。
それから先の個別相談の調整時、応援スタッフの皆さんに「4番は抜いてください」とお願いするようになった。当事者というのは、好きでその立場になったわけではない。年代や家族環境に加えて、信仰や経験によってそれぞれの「心」ができている。脳裏に浮かんだこだわりや禁忌は、消すことはむずかしい。あるとき小児がんの子のおかあさんからいただいた手紙に、「あの子も必至でがんばっています」と書いてあったことに、得心したものだ。「ひっしでがんばっている」場合は「必死」が正しい。この「必至」は、その結末は必至だ、というように使う。でも、書きたくなかったのだ、その文字を。
子どもの成長の祝いは、七五三の歳に。お祝い金は奇数で、1万円か3万円か5万円を包むこと。きっとそこに込められた意味の中に、四の数字は避けましょう、というのがあったのかもしれない。でも8はめでたいとされている。漢数字の八が末広がりだからですって。まあ、ともかく、できるなら好ましい数字に気遣いを含めたいな、と思う。
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