アドリア海の真珠

海外でもう一度訪れてみたい所は?と考えると、ちょっと一か所に絞るのはむずかしい。国内旅行とちがって外国への旅は、その度にかかる手続きの手間や費用がちょっと嵩む。それだけに、どこに行って帰って来ても、それぞれに思い入れが深くなる。ここまで長く生きて来れば、一般的な日本人として数年に一度は海外旅行の機会があったから、行った都市や観光地を数え出したかなりの数だと思う。それでも他の人に比べてやや珍しい経験としては、ペレストロイカ前のモスクワ、東西統一前の東ドイツ旅行かもしれない。冷戦中の、ロシアがソ連と呼ばれていたころのモスクワとレニングラード(いまのサンクトペテルブルグ)、別の機会に旧東ドイツを訪れたのだった。どちらの街にも、マクドナルドもネオン(商業用の広告)もなかったから、ホテルの高層階に泊まったが、夜景と呼べる街の灯りがなかった。それを良いとも遅れているとも思わなかった。その佇まいに、その国の歴史上の「いま」の在り様を感じて、それなりの感動をさせていただいた。

ヨーロッパの都市をいくつか、イギリス、アジアの数か国、香港、アメリカ、オーストラリアにも、旅行や仕事の関連で行って、すべての街や食べ物や人々から刺激を受けた。旅はほんとうに良いものだと思う。

それでも、その中から再訪したいところを挙げるとしたら、1位はクロアチアの「アドリア海の真珠・ドブロブニク」かもしれない。アドリア海に面した古い街だが、私は1983年ころ、当時ユーゴスラビアという国名だった時代に旅行する機会があった。高い堅牢な城砦に囲まれている旧市街は、石畳を歩くと中世にタイムスリップした気分にさせてくれる。石の壁に絡んでいるぶどうの枝を指して、案内の人が「このぶどうの木は300年前からここにある」と誇らしそうに話してくれた。

ドブロブニクが特別印象深い理由を、私自身はわかっている。1991年~1992年にボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦があって、旧市街地も大きく崩壊してしまった。報道の映像で、私たちが楽しく揺られたスルジ山へ上るロープウエーのゴンドラが、無残に破壊された様子を観た。あのぶどうの木も焼かれてしまったかもしれない。あの日はおおらかに私たち異国からの旅行客を迎え入れた人・街が、戦争という惨禍に巻き込まれたという事実はやるせない。それでもそれから30年経ついま、再び観光客を迎え入れているとしたら、政治や行政の力ではなく、そこに生きる市民の底力だと思う。あのぶどうの木を自慢していたドブロブニクの人達、そうやわではないだろう。

私がドブロブニクを旅行したのは、単純な観光だった。その後、あれほどお気楽な旅気分はありない。どこに行くのも、仕事やその流れで等の副次的な理由がついた。そして、ボスニアの内紛の1991年~1992年は、私にとっても深い悲しみの底にあった。30年後のいま、だからこそまた、ゆっくりと訪れたいのかもしれない。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

1コメント

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  • 上地っこ

    2020.10.21 03:20

    ユーゴスラビアだったころのアドリア海の真珠・ドブロブニクの旅を思い出しました。もう一度訪れたい。あの仲間と…もう無理かも知れませんが。