『ペスト』

年賀状を見ながら、2020年が誰にとっても戸惑いと緊張感いっぱいの1年間だった、としみじみ思った。春から秋へ、冬に向かう日々、それぞれ懸命に感染対策を講じて過ごしたこと、そして報道に表れる政治の対応に何度もため息をつき、年越しのころにはやや疲れが溜まり、それでも年賀状には「年が明けてからは、きっと」と希望がいっぱい託されている。

感染症の大流行はもちろん初めてではないから、人類は同じ試練を何度も乗り越えてきた。その人類の一員として、私も2020年の日々刻々迷いつつ悩みつつ、だった。そんな中で手にしたのが『ペスト』(カミユ)だった。相当前に一度読んでいるはずだが、細部を覚えていないことと、この情勢下で読むことに意味があるはず、と思ったのだった。

舞台は1940年代のアルジェリアの港町、オラン。そこで主人公の医師リウーが、アパートの階段で一匹の鼠の死骸を目にする。間もなくリウーはこれまでにない症状の患者を診て…、という展開なのだが、読みながら何度も「え?2020年の未来が見えてたの?」と思った。医師たちが見解を告げても、政治と行政は耳を傾けない。対策は後手後手となりつつ、死者は倍々に増えていく。人々は恐怖に混乱状態になり、やがて街の出入り口は封鎖され、郵便は出しも受け取りもできなくなる。そんな中で描写される人々の振る舞いに、本当に考えさせられた。金を積んで封鎖を突破してパリに行こうとする者も当然のようにいるのだが、一方で、今でいうボランティア活動を開始する若者も出てきてリウーら医師達は助けられる。

物語の初め頃の、結核療養のために汽車に乗る妻を主人公リウーが見送る場面に、リウーの精神性と夫婦仲が品格高く表現されていて、私はとても好きだ。「何もかもよくなるよ、今度帰ってきたら。お互いにまたもう一度やり直すさ」「ほんとよ。やり直しましょうね」。温かい言葉の交換、孤独を癒しあう「会話の力」が優しい。

このあと間もなく、妻の代わりの手伝いのため、リウーの母親がやってくるのだが、この母親もまた、目立たないながら素晴らしい女性として描かれる。この主人公の医師・リウーを育てた人だな、というのと同時に、母性の持つ温かさと判断力を兼ね備えている。

物語は、人の世は予測不能な不条理な出来事にいつ見舞われるかわからない、ということがカミユが描いている世界なのだろう。だが、ボランティア活動に手を挙げる人たちや、もちろんリウー達やその母親などを点在させることで、「何があったとしても、やがてきっとうまく行く」と思わせてくれる。良かれ、と踏ん張る人々がいてくれる限り。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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