「日の名残り」
ノーベル文学賞を受賞したカズオイシグロ原作の映画「日の名残り」を観た。原作を読まずに映画を観るなんて、と自分を責めながらも、読みたい本が目白押し「積読」状態なので、ちょっと目の休息を兼ねて映画を選んでしまった。視覚的満足度120%だったので、自分を許す。
舞台となるイギリスの貴族の館だけでも、「観るだけの価値があった」と言える、ため息がでるほどの重厚さだった。世界の全ての国にあるはずの、歴史を刻んだ建造物。美観、調度品、繰り広げられる社交と接客。その時代毎の文化の粋が集合している。でもそこには工夫された便利さも集合していることにも、映画で改めて気づかされて面白かった。宿泊する客間の全てから、厨房に「コールベル」が引かれていて、宿泊客から何か用事があればそのベルがチリチリとなるようになっている。手動のナースコールのようなものかもしれない。
時代背景は第二次世界大戦数年後と、大戦突入数年前とを行き来しながら進む。主人公は、イギリスの貴族の館・ダーリントンホールで先代から勤めている執事、ジェームズ。実直さを絵にかいたような人物である。屋敷では時に、外国の要人とイギリスの首相が秘密裏に会合を持つこともある。つまり歴史が刻まれたところとして意味を持つ場ともなるのだが、それはまた後年「歴史の評価にさらされる」ことにもなる。ヨーロッパの歴史では、ナチスドイツの対ユダヤ人思想にどう対応したかは基本的な評価軸なのだ。ジェームズは時に、主人の対独姿勢に内心では落ち着かないこともあるものの、あくまでもダーリントンを敬い続ける。
一方、執事の重要な仕事は屋敷の運営と人事でもある。今も昔も変わらないのは、事業運営に付き物なのは慢性的人手不足なようだ。屋敷も常に働き手を募集していて、ダーリントンがしょっちゅうしているのが面接だった。冒頭でやってきたミス・ケントンは、願ってもない有能な女性で、結局彼女は女中頭となって長くジェームズの片腕のようになっていくのだった。
映画は、ミス・ケントンからの「あれは本当に、私にとって黄金のような日々でした」という手紙を受け取ったところから始まっていく。それはまた、実はジェームズにとっても黄金の日々だったのだ。だがジェームズは、執事としての職務一筋に人生を歩き続ける。
仕事に実直であることは、大切な人の世の約束だと思う。ただ、人としての想い、他者との関わり、正義感などで、少し歩みを変えることに迷う時もあるはず。結局、ケントンは海辺の街で暮らすという夢を選び、ジェームズは執事という立場に留まる。
はがゆい。でもひとつだけ言えることは、ゆるぎないスタンスを保つ人物がいるからこそ、そこで育った人々は自由に発言し、自分の道を好きに選び取り、ときに「そこにいた日々が貴重でした」と言えるのではないか。私は、2代の主人、多くの若い従業員、自分の父親と、そしてついには想いを抱いた女性をも、見送るばかりのジェームズに、父的な、ある意味では母的な寛容も感じたのだった。
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