『万葉集を歩く』

東京駅の書店でふと目にした『万葉集を歩く』。いつもは、文庫や新書の棚を中心に狙いのタイトルの小説や解説書を探すだけなのだが、その日は珍しく古典が並ぶ棚に寄ってみた。ジタバタ走り回る毎日。心身の疲労快復のために万葉集を読みたい、と思ったのだった。

表紙は、稲穂が垂れるあぜ道に彼岸花が咲き並び、そのあぜ道が遠くの里山まで続いている写真。懐かしい故郷の秋に似た風景と、時間があればゆっくり読みたい「万葉集」のタイトルとに引かれた。冊子の趣旨は、万葉集の研究者だった犬養隆氏が、東北から近畿、東海から日本中へと、116の歌の背景にある土地を訪ね歩いた記録をたどって、今その土地に残された万葉の余韻を丁寧に写し取っていた。私はその冊子を買い求め、書店の3階にあるカフェに席をとった。

席の前の窓から見下ろすと、山手線や京浜東北線がひっきりなしに往復している。コーヒーとチョコケーキを交互に楽しみながら、大和の章・初瀬、石上、飛鳥川とページを繰っていく。そうして、近畿の章へと読み進めて、私の視線は答志島で止まって、胸がトキンとときめいた。各項には現在の市町村も書いてあるのだが、その答志島のある町がとても、とても懐かしい処なのだ。

最愛の息子を喪ってからの日々、悲しみと喪失感とどう向き合えば良いかわからず、同じように苦しんでいるはずの子を喪った父・母に「語り合いの集い」を呼び掛けてみた。今のようにSNSがあるわけではないので、当時は新聞のお報せ欄に掲載を依頼するような方法だったが、思いがけずたくさんの父や母と連絡が取れた。それでつながった人たちと過ごした年月は本当に貴重で、心の宝となった。小児がん・成人のがんの治療を経験した人たちも同じように「仲間」の存在に助けられ、支え合っている。それと同じ。悲しみや苦しみの深層を理解し合えたと感じるとき、涙を拭きながらだが、人はとてもよく笑う。

その日々に、その仲間と共によく小旅行もしたものだ。語らい、美味しいものを食べて、それから川の畔に行って皆で並んで佇んで、それぞれの亡き子と静かに語らう。そうして、お互いに生き延びることができた。答志島は、7年間ほどそうして鎮めまでの時を共に過ごした方の、お住まいの近くだった。

私はコーヒーを飲み干すと同じ書架に戻り、「万葉集を歩く」をもう一冊買った。直接お会いする機会は何年間もなかったが、年賀状でお元気なことはわかっているので、短いメモ程度の手紙を添えて投函。直ぐにお電話をいただいた。懐かしい声に、瞬時に癒される。語り合い・分かち合いの仲間は、時を超えていつも横にいるのだな…、と本当に嬉しかった。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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