311・東日本大震災から10年に寄せて

骨髄バンクをめぐる地震発生からの混乱と対応のレポートを、つばさのサイトに「日常力-311と日本骨髄バンク」として掲載した。震災から5年後、やや落ち着きを取り戻したと感じたころに福島県立医科大学病院、日本骨髄バンクの関係者に取材して書いた。それを2019年7月号からNewsletterひろばに転載を開始、震災10年目に向けて2020年12月号で完結とした。

実際は、地震という揺れによる災害は仙台含め東北全体も同じく大きかったことと、医療現場の直撃という側面だけみれば東北一帯どこも大変な状況だった。5年目の取材では、東北大学の血液内科でもお話をお聴きし、当時の状況を詳細に説明していただいた。東北大学病院には大部の記録集もあって、クリーンルームの天井が崩落した移植施設や、東北大学病院全体(医師、看護師)の緊張感あふれる連携の様子が詳細に掲載されていた。ある先生の「地震の災害という点では、内陸も同じく大変でした。ただ、津波とそれによる原発事故という大災害は、内陸の比ではなかったはずです」というコメントが印象的だった。つまり2011年3月11日に東北全体を非常に大きな地震が襲ったのは事実だが、津波、そして原発事故によって地震は歴史的な大災害となったのだった。

10年目となる今年は、1年前から始まった新型コロナウイルス感染症の大問題も被さって、世界と日本全体が「命を守りつつ、より良い暮らしをどのように継続していくか」を再提起されているのだと思う。経済的優位や立ち位置(名分・外聞)よりも何よりも、人の心身が健やかであるためにはどうしたら良いか、それが命題となっているのだと思う。「311は歴史にしっかりと刻んで、百年も千年もの教訓にすべき災害」と、どなたか評論家が言っていた。その通りだと共感する。

それは人生の途上でがんと格闘し、再出発したことと同じ。それが何歳であれ、り患・治療・再出発は、その前の人生とは大きく違う。失ったものがある、そして得たものがある。失ったものを確認して、忘れずに記憶に刻もう。何回でも永遠にでも、失ったものに痛恨の涙を流すことを恥じないこと。そして、得たものを数え、感謝し、それに力をいただこう。得たものの一つに、新しい仲間があるはず。語り合って・その想いを分け合って・共に進みましょう。

「人は皆、星座のごとくゆっくりとたゆまずに、己が弱点の周りをまわりつづけよう」(ゲーテ)

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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