若葉、匂う

春紅葉(はるもみじ)がいっとき萌える季節となった。落葉樹がほとんどの山々では、もみじやカエデが混じる地域では半月くらいの期間限定で、穏やかな青空の下、柔らかく山全体が微笑む。山あいの村育ちの私の記憶にも、年々歳々の晩春の恵み深い景色が豊かに広がっている。

もみじやカエデの新芽は、若葉と言えるようになるまでは淡い紅色で本当に美しい。我が家の一番大きな植木鉢のもみじもいま、椿やツワブキの艶やかな新緑を背景にピンクの葉先を広げ始めていて、思わず撫でたくなる。もみじなどの葉の春の紅葉は、葉緑素が出て来て表面を緑に覆うまで、本来持っている地の色(赤)なのだそうだ。だとすれば、もみじにとっての青春ならぬ紅春。幼子・若者の色なのか。そう知れば尚、どこか愛しい心持になってくる。

風もなく明るく晴れた午後に、よいしょとデスク前から自分を引きはがして散歩に出た。でも私の場合はどんなことにもリキが入ってしまって、「散歩」ではなく速歩になる。たむろしているのか連れ立って移動しているのか判別がむずかしい若者の集団を追い越して、戸山丘陵の歩道に入った。いつもなら、そのまま速歩で通り抜けてしまうのだが、ふと榎やブナの木々に呼び止められたような気がして立ち止まった。風が無くて、少し湿った空気。周囲には誰もいない。私はマスクをはずして、ちょっとびっくりしてしまった。若葉の匂いが立ち込めている。それもう、香りなどという生半可な表現では追いつかない、まさしく「匂い立つ春の樹々」なのだった。ああ、いい匂いだ、と思った。もう一度深呼吸をする。空いっぱいに広がった匂い立つ黄緑の枝々に、何をそんなに焦っているのか、とたしなめられた気がした。自然の逞しい存在証明に圧倒されつつ、勇壮にして悠長な歩みに肩の力が気持ちよく抜けた午後だった。


A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

0コメント

  • 1000 / 1000