「フィンランディア」を聴く

100年以上ロシアの圧政に苦しんできたフィンランド国民は、1917年に独立を勝ち取りました。「独立運動の熱気」。結果的に独立が成し遂げられたあとで使えば、それは前向きで明るい響きですが、渦中にあったフィンランドの人々にとっては先の見えない、闇の中での長距離ランニングだったと思います。当時既に国から「我が国の作曲家」として地位を保証される立場になっていたシベリウスは、その独立運動(フィンランド国民)を励まし、共感を伝えるためにこの「フィンランディア」を作曲します。

吹奏楽と打楽器が全体を支える音質は、タクトが振り下ろされた瞬間から聴き手の魂に共振します。

フィンランディアを聴いていると、これまで出会ったたくさんの友人たちの「闘病」が想われます。苦闘の日々、誰とともに「希望」を語り合っただろうか。あるいは、愛する人の苦しみを支えきれない自身をどれだけ嘆いただろう。ある友人は、パートナーの再発がわかった日の夜、本人の希望で馴染みの砂浜を散歩したとき、無言で海へ海へと歩いてしまう本人の上着の背中をしっかりと握りしめていた、と語ってくれました。またある人は、「仕事場から健診の結果を聞きに行って、そのまま入院」して、退院は1年半後だったと拳を握りしめました。振り返って語るのは数分だが、苦闘は一瞬一瞬のいつ果てるかもしれない積み重ねだったはず。

シベリウスがフィンランディアを我が祖国のために作曲したことで、どれだけの人を慰め鼓舞し救ったか。ロシアはこの曲の影響を恐れて、一時期フィンランド国内での演奏を禁じた、という史実を知ると、この曲の素晴らしさ力強さがなお想われます。

コロナ禍との全世界挙げての闘いは、まだ少し続きそうだが、同胞たち、めげずに行きましょう。いや、めげたって無理はないです。人はみな、寂しがり屋でいじっぱりなのだ。せめて、涙を流し続けるあなたのその耳に、フィンランディアの響きを届けたい。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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