春なのに
毎日新聞の文化欄「音のかなたへ」の、梅津時比古さん(音楽評論家)のコラムに胸打たれた。
『春なのに暗い。光が差してしても暗い。
この憂鬱はどこからやってくるのか。ウクライナの春からだろうか。次々に穴を掘って埋められた遺体の上の土に被っていた雪は解けただろうか。粗い映像を通してでは、雪まじりの土なのか、土からはみ出した骨片の白なのか、分からなかった。ー略ー そこには死の尊厳や、過ぎた人生への思いは見られない』。
戦時下のウクライナに私たちは何もできない。だからこそ「こうしている間にも無辜の市民が悲惨な目にあっている」という悔しさや悲しさが、胸の底に解けない氷のように転がっている。それは私だけでなく、おそらく多くの世界の人々の心模様ではないだろうか。
その、ただ天を仰ぐしかない無力感を梅津さんのコラムは
『ロシア軍が迫るオデッサにピアニストのリヒテルがいた。最後の来日となった1995年、リヒテルは日本各地で予定されていた講演を全てキャンセルした』と綴る。
ーその公演のために来日したリヒテルは80歳を超えていた。しかしリヒテルは毎日、ピアノの前に座って「自分は弾けない」と泣いていたのだという。ロシア軍が侵攻したオデッサでリヒテルの父親は教会オルガニストだったが、スターリンの粛清で銃殺されたのだという。その記憶、無念さが80歳を過ぎたリヒテルをなお苦しめていたのだ。梅津さんは、
『今、ウクライナには何もない。春の匂いはするだろうか』
と結ぶ。
第一次・第二次世界大戦を通して、仮に開戦してもお互いに医療施設や文化・教育施設は攻撃しない約束ができたのではなかったか。医師や看護師は護られて救命のための活動が保証されるのではなかったの?赤十字のマークがある車両なら、安全に医療品を運べるはずではないのか?なぜ産院や劇場が直撃されているのか…。
何もできない私はせめてもの想いを込めて、梅津さんのコラムを写している。
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