エッセンシャルな人々
年に一度の人間ドックの朝。徒歩15分ほどの国立病院に向かうため、7時半に家を出た。
地下鉄駅前の道を右折、坂道を少し上る、ゆっくり蛇行する坂道をまた少しあがる。道の前方(おそらく後ろにも)には、ブルゾンやジャケット程度の比較的ラフな衣類に黒いリュックや地味なトートバッグの男女が速足で歩いている。私は「お医者さん、看護師さん、コ・メディカルの皆さん…、かな」と思いながらその人並と一緒に歩く。
道が病院の裏側に行き当たる。歩道を渡って右に行けば職員用通用門、左に行けば正面入り口だが、そこまで上がって来た人たちは続々と右へ折れて、職員用通用門を入っていった。私は正面へ回り、タクシー乗り場のある正面玄関前を通りぬけて、その先の人間ドックセンターの自動ドアをくぐる。
半日で済む程度のメニューだが、ここの人間ドックを利用するようになって3年目となる。もう15年ほど前だが、亜急性甲状腺炎でここの内分泌科のお世話になった。それから6年間通院していた。発熱と息苦しさが収まらず、それでも札幌や大阪でのフォーラム開催をこなしていたが、ある日ついに喉や全身の痛みに耐えられなくなった。それでかかりつけ医に行ったのだが、馴染みの内科のその先生は私の顔を診て、喉を外から触っただけで「紹介状を書きます」と言ったのだった。紹介状の宛名は「内分泌科御机下」で、つまりは急ぎどこかの内分泌の先生に診てもらってください、である。
その結果「亜急性甲状腺炎」という病名が付いて、それで心底ほっとしたことを覚えている。内分泌科の先生が「この状態は、眠っていてもフルマラソンしているようなものです」と説明してくれたとき、息苦しさ、焦燥感、倦怠感などは、私の心の持ちようと関係ない、と言ってもらえと思った。いや逆に、身体に起きていた不具合が私の心理を圧迫しているのであって、私がせっかち過ぎたり短気だったり怠惰だったり、ではないのだ、と言ってもらえたことになる。もちろん元々やや気が短いのは自覚しているが、である。検査の結果、「先ずは炎症を押さえましょう」ということで、処方箋をもらって廊下に出たとき、ふいに涙が出そうになってしまった。
以来、チラージンさえ服用していればまずまずの健康状態となっていって、ついに6年後に「急性期病院の当院で診る必要はなくなりましたね」という若い内分泌の先生の遠慮がちでありながら断固とした逆紹介のススメで、めでたく元のかかりつけ医へと戻った。
それから数年後、兄たちが2人、唐突に9か月の間に次々とこの世を去った。2人共に、もし年に一度内視鏡検査を受けていたら死なずに済んだと思われる疾患だった。その経験もあって、国立国際医療センターの人間ドックに年に一度お世話になることにした。
それにしても、と思っている。内分泌でお世話になっていた頃も、いまこうして年に一度の人間ドックで各検査を回りながらも、医療で働く人たちの技量や対応のスキルはすごいな、と感心する。一通り検査が済んで医師の前に座ったときには、モニター上に全てのデータが出そろっているのだ。
朝の地下鉄の駅から、病院の広い職員通用門に向かう人の流れ。その人の流れは、反対側にある別の地下鉄からも続いている。裏手の駐車場に入ってくる車もたくさんあるはず。
休みなく機能する病院のシステムを支えるために、日に何度もたくさんの人が集散する。新型コロナウイルス感染症問題が発生する前も、それから3年経つ今までも変わらない姿だったのだ。改めてこのエッセンシャルな人々に感謝しつつ、人間ドッグの感想文に「来年もまたここでOKをもらえるよう、自己管理を意識して過ごします」と書いたのだった。
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