母の日に

血液情報広場・つばさの名称の「・」は、「母」を意味している。最初はもっと母親たちが終結したイメージの名称にしようかと思ったのだが、あまりこだわり過ぎの名称や定款ではフットワークが重くなる、という各方面からのアドバイスで、ちょいと中黒点を付けて完成したのだった。「・」は、それでも母の視点で領域を見つめること、それはブレないように、という自戒にも繋がっている。わりと気に入っている。

そんなこんなで今日は母の日だから、いつも以上に私は怒っているのかもしれない。隣国や隣人を敵視し殺傷しようという発想は、どこからどんな風に沸いてくるのか。それは考え方なのか、感情なのか?

世界中の母親が、産まれたばかりの(いやいや、その胎動を感じたときから)わが子に「いつか戦争に参加して、敵(誰かの子)をたくさん殺すこと」を希望するはずがない。たくさんの愛に囲まれて、誰かに心から感謝されて、手応えある人生を生きてほしいと心から願うはずだ。「この子に良い人生を」と、その地の信仰の下で天に祈るはずだ。そんな世界中の母の願い通りに育った子らが、医療や創薬の領域で他者の生命のために地道に奮闘している。力の限りのさらに力を振り絞って、命を救い、より良い生へとつなぐ仕事をしている。同時に世界中で、救命を仕事にはしてなくても、献血と造血細胞の提供にさりげなく応じている人の数はたいしたものだ。それを感じることができる日々に心から感謝している。

与謝野晶子が末弟のために心込めて謳った「君死にたまふことなかれ」でも、「願う人」は晶子ではなく母親だった。

親は刃(やいば)をにぎらせて、人を殺せとをしへしや?

薬と医療機器。提供された血液や造血幹細胞。それを安全に運ぶ人。よく訓練された人の温かい手が、病む人や傷ついた人のためにそれを使う。そこはすべて温かいベッド上であってほしい。2022年の母の日に心からそう願っている。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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