バタフライロード
蝶が羽化するのを身近で見たい、と思うようになると、路地裏だけではなく都内全体の昆虫の生息状況が気になってきた。世界の自然(その1つとしての生物多様性)は豊かに保存されなければならいと確信して、食べ物から衣類まで極力自然素材を選ぶようにして来た。それだけでも自然への貢献になると聞いたことがある。
山と林と田畑に囲まれた集落で、たぶん蝉や山鳩の鳴声を聞きながら産声をあげた(6月末生まれ)はず。私が小さいころは、座敷いっぱいに張った蚊帳の中に蛍を数匹放して、家族で美しさを楽しんでいた。オニヤンマが縁先からヒューっと飛翔してきて、そのまま北側の障子の間から抜けていったこともあった。つまり大いなる田舎で育ったということだ。
そんな緑深い暮らしだったのに、あるいは「だから」かもしれないが、近年まではあらゆる「幼虫」がとんでもなく苦手だった。全身の形態があまりに縁遠い異形に感じて、一生お近づきにはなれないと思っていた。蝶々だってきれいでたいせつな存在だとは思うが、「要するに青虫に羽根が生えただけでしょ」と本気で言ったものだ。
そんな私が、娘一家の昆虫愛の恩恵で3年ほど前から激変して、山椒の木まで植えて、青虫の写真に「来たー!」など添えて、ラインに投稿するようになり、娘からは人の顔にハートの目が二つならんだ絵に「可愛い♡」なんぞと書き込まれてくる展開となった。幼いが私より先輩の昆虫博士たちからも、「蛹になる時に糸を張る枝や壁が必要」等の指導も。変われば変わるものだ。
それでふと気づいたのだが、わが路地裏に飛んでくる母アゲハは、どこから来て卵を産んでどこへ往くのだろうか。お向かい2軒の間から飛んでくることもあり、路地をずっと向こうからひらひらとやって来ることもある。ある日は地下鉄の駅の入り口にある緑地でホバリングしていた。あのモンシロチョウはどっちへ移動していくのだろうか。
答として、蝶々の産卵と羽化は、並木や見えない家の裏側の壁などで密かに行われているのだと、娘とその息子たちとその子育て仲間の会話で教えられた。実は東京の特に山の手線の内側はかつての武蔵野緑地が比較的よく保存されていて、東京の新宿という響きから遠方の人が想像するよりもずっと緑や土面が多い。我が家の花壇では春になるとかならず山芋のツルが生えてくる。ドクダミやハルジオンも生まれ育った田舎と同じように、「ここは日本の庭です!」とでも言っているかのように負けてない。
ミツバチも昆虫の一種なわけだが、明治神宮あたりで放つと、農薬を散布してないので「素晴らしい百花蜜が採れるはず」だと聞いたことがある。もちろんやってはいけないから誰もやらないが。一方で気になるのは排気ガスや水質の汚染だが、それも大部改善されて来たのだとか。私のかかりつけの美容師さんも小さな昆虫博士くんの父親で、施術してもらいながら育虫談義でもりあがるのだが、彼が「クワガタとかアゲハとか、このところ都内にも大部戻って来たらしいですよ」話してくれた。
そうなのか。だれもが小さな注意力で「よかれ」として暮らしている。その結実がふんわりときれいな、虫にも人にも優しい空気と環境を造り出している。その中で茂る樹々や花の間に存在するバタフライロードがスローモーションで脳裏に浮かんで嬉しくなった。
この夏はせっかくの羽化を見られなかったけれど、めげないことにしよう。来年の夏に向けてもう1本山椒の木を植えようかな。
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