声呼吸

語り合う幸い。目を見て、空気感を共有して、お互いの間に美味しい飲み物などを置いて、心を抑制することなく言葉を交わし合う。

良いひと時だった。そう感じるのは語り合っているときよりも帰り道や数日経ってからか、あるいは数年も経ってからかもしれない。忌憚ない会話では、時にはお互いに踏み込み過ぎてしまった後悔が混じることもある。それでもそこに煌めきを見るのは、「会話」は人類がお互いの立ち位置を理解し合うために創り出した最善の方法だと知っているからではないか。

文字を使う意見交換ではかなり緊張する。いったん公開すれば修正が効かないことがわかっているので慎重に書いていても、その時の感情の在り様は意外にコントロール不能なのでつい書き過ぎたり、説明不足のまま結論まで書いていることに気づかないまま終了していた、ということも間々ある。古の文学や記録などの文献で、のちの研究者が書き手の置かれた時代や立場についても詳細に検証してその書の意味するところを理解するのも、おそらくそのためなのだろうと思う。だから公開すれば瞬時に世界の果てまで届いてしまうかもしれないSNSは、文字だけではなく実写も含めて「時間の中に消えてくれないツール」と解って使いこなさなければいけないのだろう。

その点、声で語り合う会話はとてもとても人間的だと思う。間違いや言い過ぎは聴き手が首を傾げてくれるし、ジョークも多少は考えなければ退屈させてしまうから、そっちの頭もつかう。食べて、飲んで、語って、笑って。ああ楽しかった、と言い交して帰路につくわけだが、思いがけないほど心身が爽快になっていることに気づくものだ。「発声」は呼気を出しているのだから当然、同時に等分で吸気もされていることになる。

それを声呼吸というのだ、と誰かがおしえてくれた。なるほど!どうりで、女子会の帰り道は肩コリが解消している。

そういうわけで、患者会や同じ経験をした人たちの語り合い・分かち合いの集まりはたいせつなのだ。仕事場でのプロジェクト等の完了時に持たれる慰労会の声呼吸もさぞ楽しいだろう。フォーラムやセミナーなどでも、その日の手応えを確認し合う懇親会は本当に賑やかだ。皆が競って声呼吸で緊張をほぐし合う。

美味しいお料理と好みのアルコール飲料を前に、肩を開いて声呼吸。もうそろそろ誰もが遠慮なく参加していいだろうか。

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