事実はひとつ、真実はひとそれぞれに

ある程度の年月を生きると、「時は必ず過ぎる」ことを実感する。しかしそのフレイズはあくまでも事実の表現であって、心身が苦しい状態ではピンと来ない。いや、ピンと来ないどころか、辛くて心が塞がっているとき、それは最も言われたくない「説教」かもしれない。電話相談で対応マニュアルを何度か作ったが、二重丸を冒頭に付けていた禁句の1つが「いつか必ず楽になります」だった。そんな悠長な言葉かけは、辛い状態にある人には鬱陶しいだけだ。

「事実」は案外やっかいで、絶対的な存在に思えるが、実は「事実は真実では無いかもしれない」。直ぐ近くで同じ経験をした人同士でも事実の捉え方や感じ方は、そこにいた人数分あると思ってよいのではないか。つまり、事実(事件があった、天変地異が起きた、〇年〇月過ぎた)はひとつだが、関わったひとの真実はそれぞれの人の胸にある。「真実はひとつ」と言い慣わされているが、違うかもしれない。真実はひとそれぞれだからこそ、事実の検証やたくさんのルポルタージュや、小説や絵画や映画などの芸術が必要とされる。

私もある年月を過ごして、たくさんの「事実」を経験してきた。この事実(実感)を自身の力として、医療文化の一端に関わる者としての真実を模索し続けたいと思う。

人生の予定や身体の一部等のたいせつなものを失う悲しみ、いつ果てるのかわからない苦しみ、少し振り返れるようになって来た頃だからこその虚しさを抱えている人たち。でもそこから一歩でも前に、とあがきつつ、「自分にとっての真実」を模索している人たち。生きよう、せっかく与えられた時間だからより良い自分でありたい、とする人たちがいてくれるからこそ、良い医療文化、より効果的な薬が生まれ続ける。私も自分にとっての真実を見つめながら、お「「真実の明か」りで足元を照らし合える人たちと連携していきたい。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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