『天路の旅人』
稀有な旅(読書)を久々に経験できて感謝している。『天路の旅人』(沢木耕太郎、新潮社)は、西川一三という実在の人が第二次世界大戦中に中国から蒙古へ、チベットからインドへと日本軍の密偵として旅をした日々を追う。ただし、ルポルタージュ風の記述ではなくあくまでも「この旅の行程にあった西川一三という人を描いている」。沢木氏自身もまえがきでもそう述べていて、帯にもそう書かれている。
実際の「旅の記録」は『秘境西域八年の潜行』(西川一三著)があるが、それを沢木流に書き直したかったわけではない、という説明のために、本書は旅の出発時から始まらず、「お会いしてお話を伺いたい」という沢木氏から西川氏に連絡をとる時点から開始している。
それにしても意外に長期間・多数回に及ぶことになった「お会いしての会話」が私にはとても興味深かった。沢木氏と西川氏の日本酒を飲みながらの会話は、インタビューでも商談でも、もちろん雑談でもない。「1年の364日(つまり1月1日を除いて)働きます」「仕事帰りに毎日ここに寄り、日本酒を2合飲みます」。西川氏の習慣に付き合って沢木氏も盃を傾けながら『秘境・・・八年の潜行』そのもの、終戦によって帰国してから著書発行に至るまでの曲折などを聴いていく。しかし西川氏はほとんど隠れていたエピソードや新しい感想を語らない。沢木氏が追って「もう『秘境・・・』で全てを語り尽くしていて、その後の人生は別物なのかもしれない」と述べる。
それにしても地を這うような、死と隣り合わせの旅の日々。途中で何度か、各地の寺院などに住み込むのだが、そこで「このままここで暮らし続ければ平安なのに」と本人も思う。もうこれで旅を終えて僧侶としての生を送るかどうか。人生の岐路である。それでも西川は西域への想いと密偵としての責務もあって、次の旅へと身支度を始めるのだった。
このまま留まれば安全で平安なのに。どの時代のどんな条件下にあっても、留まるか進むか自問自答する瞬間が、ときに誰にでもあるのではないか。まして西川氏はこの旅を(数え年)26歳で始めているのだから、「留まらない」を選ぶのは当然だったかもしれない。青年は荒野をめざす、ということか。
そして、岐路に立った時、ひとはほとんど苦難が多い方を選ぶと言ったのは誰だったか。きっとそうするのは、人の脳(心)は人生をより良く充実して生きたいと願うからだと私は思う。それでも‘天路の旅人’にその気負いは一貫して無い。ただもっと西へ行きたいから歩く。それだけだった。
印象に深いのは、充分なお金も食糧も持たない(持とうと欲しない)で、托鉢だけで最低限の食物を得るだけの日々を淡々と過ごしながら、ああ、もうダメか…、とさすがに死を覚悟するような状態に陥ることもあるのだが、そんな時に手を差し伸べてくるのは決まって貧しい人々だった。それもまた、人の脳(こころ)に宿っている互助の本能なのだろうか。こうしてひとの世は保たれている。西川氏と天路を旅しながら何回も私は呟いていた。
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