スマホが真っ暗

仕事上の連絡はほぼ全てパソコンのEメールで、情報検索もパソコン。スマートフォンを使うのはほぼ電話だけなので、あまり電池の残量に気を配っていなかったようだ。それがこの日はけっこうな長話が午前も午後もあった。それぞれいい調子で話し込み、「それでは~、また是非お話しましょうね」とご機嫌で終わって、料金はかけ放題だし、と何も気にしない。元来がPCもスマホも頼るだけで「機器は常に動くもの」と呑気な感性しか持ち合わせていない。それなのに、PASMOで地下鉄もJRも私鉄もバスも乗りまくり、買い物ではほとんどスマホでピッ。

いつも通りに夕刻の散歩を兼ねた買いものに出た。散歩は最低限の運動のために可能な限り歩くものの、途中で地下鉄や在来線に乗って書店やら馴染みの食品店に寄る目的もある。家を出てから帰るまで、歩数は8,000歩くらいで、全体に1時間半くらい。もし公共の乗り物を一駅、二駅挟まないと成立しない「合計時間」となる。その帰りになって、あれ?私鉄の改札が通れない。スマホが真っ暗になっているのだ。暫くは何が起きたのかわからなかった。書店でも食品店でも、支払いとポイント加算でピッ、ピッ。いい気分で帰途についたのに。

スマホをかざしても乗車できない時、さて、どうすべきなのか?咄嗟に足が反応せず、改札から少し下がって「再チャレンジ」などとも考えてしまったが、ダメに決まってるじゃない、と自分に突っ込んで、ようやく券売機へ走った。そこで久々に、前の人が買い終わるのを待つという時間を過ごして、1駅分のチケットを買った。次はバスか、地下鉄か。駅を出ると目の前にとても便利で毎日のように乗りこなしている都バスが居て、ドアを開けている。しかしスマホが使えないとなると、バスは券売機があるじゃなし、料金を硬貨で払うわけか。いくら?ああ、私は乗っているバス(さっきの私鉄も)の乗車料金も知らない。と、少し後ろめたい気持ちになりつつ、そのまま足を止めずに地下鉄まで駆け下りた。そこでまた券売機で初乗り乗車券を買い、一駅乗って、ようやく帰宅と相成った。そして、玄関から家に飛び込むと、もう焦る必要な無いのにマスクも外さず荷物を肩にかけたままスマホを充電ケーブルに繋ぐ。そしてやおらマスクを外した本人よりも、充電を開始したスマホの方が深呼吸しているような妙な気分になった。

この日、唐突に機能停止になったスマホのおかげで、この小さな電子機器だけでなく、暖房も洗濯も食品の保存も、そしてたいせつな仕事上の連絡ツールも、全て電気というエネルギー無しには成立しないのだ、ということ改めて実感させられたのだった。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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