方丈記

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

この冒頭文と作者・鴨長明を知っている人は多いと思う。意味合いも、「そうそう…、そうなんだよなあ」などと読み手に共感を持たれているようだ。しかし、続きを知っている人となると、少し(あるいは大幅に)減るのかもしれない。

続きは、「世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし」となる。最初の「ゆく河の…」から始まり、「久しくとどまりたるためしなし」の「とどまらない」ものは、人と共に栖(住居)がワン・セットとしてこのエッセイは始まっている。

繰り返せば、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし」という3行で始まるのが方丈記なのだ。

‘方丈’は、四角形。鴨長明の終の棲家となった住まいが「方丈(おそらく4畳半くらい、と言われている)」だったことから、長明自身が綴ったこのエッセイは『方丈記』なのだ。幼少期は大きなお屋敷で育った長明だったが、人生の変遷を経て出家し、鴨川近くにこの庵を結んだのだった。

それにしてもなぜ、河の流れや浮かぶうたかたのようにとどまらないものが「ひと」そして住まいなのだろうか。鴨長明は大きなお屋敷だって、いつ見る影も無くむざんに壊れ去ってしまうか知れず…、と記したのは、ただ自分が運悪く出世の道が何回か閉ざされて、ついには移動可能な小さな庵が手に入っただけ、という想いの裏返しとしてだけ「栖」もはかないものと記したのか。

おそらくもっと現実的な意味もあった、と私は感じる。この方丈記の一面は災害記録と読める。長明が方丈記に詳しく表している、大火、大竜巻、大地震の被害の実態はすさまじい。大地震では4万2千3百人死亡という数字の記録もしっかり残し、そして何より目にした被災者の様相を、悲しみを込めて描く。残念ながら高い地位は得られなかったようだが、鴨長明には文化人として視線や行動力に余裕があった。おかげで私たちは800年前に起きた災害とその被害、失われた命とそれを追慕する姿、同時にけっして被災者を捨てておかない立場の人たちがいたことも、知ることができる。せっかく長明が残してくれたこの国の歴史。その積み重ねの「いま」、私達が結ぶうたかたもせめて温かく、力強いものでありたい、と願わずにいられない。

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母の心、ふんわりんりん…

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