理解に留める
当事者と囲む関係者の間にある最大の差異は「時間の感覚」かもしれない。近所の幼児がある日いきなり仏頂面の高校生になって横を通り過ぎた、というような経験、多くのひとがお持ちかと思う。その時つい口に出るのは「よその子の成長の早いこと!」だろうか。
長男との永訣から1年半後に兄が「もう3年かな?」と言う。兄は骨髄バンクの成立を我が為のように願い、東奔西走する私を陰になり日向になり支援してくれていた、と私は感謝していて、もう3年かという言葉を聞いて落胆したわけではない。もしかしたら少しほっとしたかもしれない。それを言った時の兄の眼差しは、察しても余りある妹の悲嘆をそれはそれとして理解だけに留めている、という程のものだった。
一方で私は最愛の子を喪った母たちの語り合いの集いを運営していたので、そこで当事者にしかわからない深層心理を分かち合っていた。当事者同士の語り合い・分かち合いの癒し効果は本当に大きいと今でもあの「仲間」たちとの会話に心から感謝している。この母たちの集いはその後およそ20年続けたのだが、ここで得心したことはいくつもある。ただ「そう、そう」と頷き合うだけの安堵感。悲嘆から湧き出す言葉の数々を注釈せずに受け入れてもらえる心地よさ。そして痛みや苦しみを伴っていた悲嘆ですら4年、5年とのたうっているうちに深層へと落ち着いていき、この集いが無ければ生きていけないとまで言って欠かさず出席していた母たちが「下の子の学校の役員を引き受けたので」あるいは「町会の世話役になったから」などと欠席するようになる。中には「あの日々お世話になった病棟で患者会を創ることに」。あの病院には二度と近づけない、と号泣していた母だった。その想いの変化と決意にまた共に涙を流して集いの仲間たちは喜ぶのだった。
あまりに悲しくて身の置き所もない程だった母たちが、泣き尽くし嘆き尽くし怒り尽くしてようやく顔をあげられるようになった。こんな風にほかのコミュニティー活動などに目が向くようになるまでにおよそ6年くらいだろうか。日々刻々、年年歳歳。「世にいう薄皮を1枚1枚剥がすように悲しみや痛みを癒してくれる「時の流れ」は賢くもありがたいものだ。時薬とはよく言ったものだと思う。
しかし喪失の悲嘆だけでなく怪我や疾患によって「いま」苦しみの渦中にいる当事者にとっても、他者から「いつか楽に」と言われても、「いま痛い」。それは激励にも慰めにもならず余計な「説教」でしかない。当事者にはその言葉を受け入れるだけの心身の余裕がないのだ。
悲しみ嘆いている当事者には、黙って見つめる支援というものもある。しかし渦中にあって己の心身さえどうにも真っすぐにできない当事者には、何かコメントされてもそれを受け入れる余地がない。痛い、辛い、悲しいと言っている当人には「時間が解決するから」と言われても困惑するだけだ。しかし「黙って見つめて傍らに居るだけ」も、なかなか胆力のある技かもしれない。
崇高な胆力とは無縁だった(と評価の辛い妹は思う)兄は、くだらない親父ギャグを連発しつつ次々とビールの栓を抜きながら座を和ませていた。「子供がドアを開けると児童(自動)ドア、な」。くだらなさが的外れな説教よりはありがたかった。
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