大丈夫ですから

まさに炎天下という暑さの午後3時前、家人と共に地下鉄に乗ろうとして交差点を渡った。広い交差点の我が家から反対側にこれから行きたい方面への改札がある。ふと見ると渡り切ったところの歯科クリニックの壁に高齢の女性が崩れるように寄りかかっている。左手は拳にして壁に、右手は何やら詰め込んだ布バッグ。丸くなった背中はますます丸くなり、頭はますます下がって倒れる寸前の様相だった。80代後半の年齢と見える。私は「これは放置しない方がよさそうだ」と思い、先ずは声を掛けた。苦しいですか?先ずは座りましょう。介抱されることになれていない人なら当然の答えかもしれないが、「いえ、大丈夫」と言う。

ともかく座りましょう。私は横に立っておろおろしている家人に「そこ。植木鉢どけてベンチを作って」と指令する。クリニックの正面玄関横のコンクリートブロックにはツタが植わった横長の鉢が置かれているが、きっとそれは通行人にベンチ代わりに利用されないための工夫なのだろう。ビルまたはクリニック側の意図はわかるが、この際は「ベンチ」が必要なのだ。家人がガガっと押して三分の一ほどのスペースができた。小柄なこの方なら充分だろう。私は彼女が死守したがっているバッグを取り上げて私の右肩にかけ、家人が彼女を背中側から抱えて「ベンチ」に向けてそろり、そろり。どうしたのかしら?急に動けなくなって、という小さな声が漏れ聞こえる。

その時だった。若い女性が自分のために持ち歩いているらしい経口補給水を差し出した。私が「ありがとうございます」と言って受け取ると、その彼女は、私が「そこに座ってもらおうと思う」と言って指した「ベンチ」のプラスチック鉢をさらにガーっと押しやった。そして鉢からこぼれた土を素手でバシバシ払う。老女がなんとか自力で座れたのを見て、私は提供された補給水のペットボトルのキャップを開けて手渡す。二口程飲んだのを見て、若い女性に「ああ、良かったです。自分で飲めましたからおそらく大丈夫と思います。あとは私たちがご自宅まで送りますので」と言うと、彼女はにっこりしてから、信号が変わると立ち去った。

その老女がひとりで布バッグを持ってそんなに遠くから来たとは思えず、家は近いはずだ。家まで送ります、誰か居ますか?と聞くと「〇〇ビルのマンションで1人暮らし」だとのこと。それから私が手をつなぎ、後ろから家人が支えて信号を渡り、渡ったところのビルのガレージ側のエレベーターでお宅に着いた。つないだ手が熱い。訊かなかったが「87歳なんです」「80歳の友だちが隣の駅にいるんですよ」と話してくれた。部屋に入って彼女がお気に入りらしい椅子に座ったところで、何か用事だったのか尋ねる。今夜の食糧などなら今回だけ買い物を代行しても良いし、会う予定の相手がいるなら直ぐに連絡した方がよい。しかし「たまにはゆっくり銭湯にと思った」とのことだった。布バッグの理由はそれだったのだ。私は「同じ町会ですから、気兼ねなく必要があったら連絡を」と、住所と名前、架電と家人の携帯の番号を記して立ち上がった。汗が多いな、と思ったが「これ飲み干して、早く横になってください」と言うに留めた。大丈夫ですから、と言いたい気持ちはわかる。

ところでその年齢層でしかも「世話になり慣れていない」人らしいなと思ったのだが、ビニール袋から折りたたまれた1000円札を2枚手にして「これでコーヒーでも飲んで帰ってください」と家人に押し付けようとしている。いえいえ、そんなつもりでは。なんのお礼もできないから。いえいえ、・・・。面倒くさいので私がそれを受け取り、「では!」と立ち上がった。そして玄関を兼ねている台所にあるテーブルにあったお盆に2千円を置いて靴を履いた。さすがにここまでひとり暮らしを維持してきた人だけはある。その2千円をちらっと見ると「そうよね」と気持ちを収めたらしい。大丈夫の連発も、差し出した私の手を素直に握ったことも、コーヒーでも、という謝礼の仕方も「あり」。今日は助ける側だった。いつか街角で私が丸まっていたら、あんな風に経口補水液を差し出してくれる人がいてくれるよう期待したい。

翌日の午前10時頃架設電話のベルが鳴って、直ぐに切れた。もしや、と思っていたら2分後に家人からショートメール。「昨日のおばあさんから無事にしてます、ありがとう、と電話があったよ」。良かった。…あ、あの鉢をそのままだった。すみません、クリニックの皆さま。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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