プロを頼る
週に3回ほどバスに乗る。JRの最寄り駅から自宅近くまで、3駅。およそ8分の道のりを、いつもの街の人の往来、飲食店などの賑わい、並木の樹々の季節感などを楽しみながら利用している。
それにしても、と乗るたびに感心してしまうのはバスの運転手のハンドルさばき。ドアが閉まって動き出すと私は毎回「このバスは100%道路向かいのパチンコ店に突っ込む」と思うのだが、当然ながら常に無事である。バスは信号が青になってゆっくり道に乗り出すと、そのままどんどん進んで行くのだ。それで「今回だけはダメだな」と私が確信した瞬間、バスはゆっくりと右に折れて進んで、そのまま片道2車線の歩道側を鷹揚に直進していく。すばらしい…、と乗るたびに感激しているのだが、乗客は皆さんスマホ覗いたりお連れさんとおしゃべりしたり、特に感動を胸に秘めている様子はない。
「プロ」ということでは、医師こそその最たる職業のひとつかもしれない。私は息子の発病で小児がんや小児糖尿病を診る小児科医に出会い、それからたくさんの同じ小児科医や血液内科医や外科の先生方に出会った。それまで教育者と公務員ばかりの親戚の中で父の従兄弟が1人、村で唯一の診療所の医者だったことと、当然ながら子育て中は風邪だの予防接種だのと近医の世話になったが、医師はそれくらいしか知らなかった。「風疹ですね」とか、「風邪だから数日休ませて」と一方的に言われて薬を処方してもらえば付き合い完了、の間柄だった。
医師の印象は、国立医療センターの小児科で、息子に小児慢性骨髄性白血病が診断されることで大きく変化した。検査結果を見なければ予断は言わない。ほぼ確信があることでも本人や家族にとって辛い事実は、隠さないがためらいつつソフトに発語する。患者からの感情いっぱいの訴えから、対応すべき事柄を懸命に拾い出そうとする。だから、だと思うが、会話中に表情を消えている。専門家とはこのような職集団の1人ひとりのことだ。徐々にそうわかっていくのは、息子が唐突に入院して医師や専任看護師ら専門家集団に囲まれていた半年間のことだった。
以来40年近く医療をナナメに見て来て思う。医師だけではなく看護という重要な職域の方々、治療・闘病に不可欠である薬を創って現場に届ける仕事、外科や検査で使う精密な器具の開発をする技術者、治療の成功をより良く維持できるように援助するリハビリなど、なんと多くのプロフェッショナルに私たちは支えられているのだろう。このプロが日本(世界)の医療文化を向上させ続けている。私がいつも医療情報提供活動を通して社会に伝えたいのは、そのことなのだ。
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