北川さん
昨年の8月の半ば、涼しそうに風鈴がいくつも揺れている絵が描かれたはがきが届いた。「昨年10月、弟・北川が他界しました」というご挨拶だった。私がはがきを手にして最初に感じたのは、ああ、お姉さまがいらしたんだという、どこか安堵にも似た想いだった。「一人ぽっちの旅立ちではなかったんだ」。そして、北川さんによく似た字体のお報せ文を見つめなが、止めどなく涙を流して立ち尽くしていた。
「Kさんとの音信が不通になってしまった」ことを『息災を祈ろう』(5月)に書いた。Kさんは年に1度ずつ欠かさず寄付を送ってくださっていたのだが、おととしの暮れにはいつもの数倍の金額を振り込んでくださった。そのことに正直なところ不安を覚えていた。直ぐに電話なりすればよかったのかもしれないが、でも金額の多寡でご寄付者の実情を判断するのも禁忌かもしれない、という思いもあった。そして前回のブログに書いたように、「Kさんはそれなりの方向転換をして住まいなども変えて…」と考えるようにしていたのだった。
再発や二次がんを経て、お仕事も変えて、でも淡々とつばさを支援してくだっていた北川さんだったので、‘勝手に良くない事を想像して泣いたりなんかしてはいけない’、それは失礼だと思うよ、と自分に言い聞かせていた。でもあの優しい北川さんが連絡も無しに縁を切るだろうか…、それが幸せな新生活への転換だとしても、という迷いも抱きつつ。
でももう、泣いていいですね。あなたとの出会いがなければ今のつばさはなかった。感謝を胸に、「やっぱり寂しい」と北川さんに向かって言いながら、長い闘いを労い、安らかな眠りを祈ることにしよう。
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