出会いをチカラにかえて
北川さんは悪性リンパ腫だった。出会ってしばらくしてから「胸に痛みが出て来て、おかしいなと思って検査を受けた」「ホジキンリンパ腫だった」「放射線を胸にあてた」と話してもらった。IT技術者として働いていた20代後半でのり患だった。
休職して治療生活を送り、寛解となって、もうすぐ職場復帰という時間の余裕がある時期に彼から声をかけてもらい、つばさの事務所で‘技術者として’ボランティアしてもらうことになる。「ホームページ」「Eメール」「エクセル」などが未だ一般用語になっていない頃である。つまり2025年の今日ならパソコンでおこなうのが当たり前の業務を、橋本でさえ抵抗感なく使えるようにしようと頑張ってもらったのだった。
寡黙な彼がパソコンに向かい粛々として作業をし、私は傍らで電話対応や相談員さんらの手書きの「電話対応記録」の通読をする、等の時間の合間に、受けた治療法や掛った病院の医師の説明や大都市圏と地方の医療水準など等を語り合った。ただ残念ながらそれは長い期間ではなかった。やがて職場復帰をしたものの再発して再治療、そしてうつ病を併発して止む無く北川さんは退職し、故郷へと帰っていった。
激甚台風に襲われましたが無事です、二次癌(肺がん)の治療を受けましたが今は元気です、いつもNewsletterひろばをありがとう、ひろばを開いて私が真っ先に読むのは「コーヒータイム」です・・・という北川さんからの言葉はみな、穏やかで寡黙な彼らしい筆記でご寄付のメモ欄と、年賀状の添え書きに書かれていた。私からの返信は「いつも本当にありがとう」「北川さんからの応援を力に替えてがんばっています」だった。それは今も、これからも変わりない。
かつての、そしてこれからの日々の出会い、そこからにいただく共感(想いのシンクロ)に感謝して、2025年も私が「どうやらこれをすべき」と得心して私に与える課題を精いっぱい実践していこうと思う。
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