祈り
信仰を持たないので、祈り方を知らないまま生きてきた。
たしかに、お盆には迎え火や送り火を炊いて敬虔な思いで墓参し、お正月には神棚にお神酒を捧げる父の後ろで神妙に正座し、畦道にお地蔵様があれば少しだけ止まって手を合わせる、という暮らしの中で物心ついて成長してきた。でも思い起こす限りの手を合わせる行為は、深く祈るということとは違ったと思う。村の生活や自然との付き合いで、誰もが穏やかに過ごしていけるための知恵、それを身に着けるための習慣、ということかもしれない。しかし私は、大学生となって独り暮らしが始まると自身の暮らしに祈りの時も余地もなくなって、それに不自由を感じることもなかった(と、思う)。暮らしの中にあった土の匂い、風の音、羊の毛の手触り、蔵の中の暗闇、山の中腹に灯った狐火への怖れ。それらの肌合いの中にあったはずの祈りや感謝を生まれ育った村に置き去りにして、新しい知識や利器「だけ」を至上とするようになった。
でもどこかで、信仰というものが気になり、私にとって最大の疑問符だったかもしれない。だから16歳で1年間、ある新興宗教に首まで浸かり、大学では妙に力を入れて無神論に耳を傾けたのではなかったか。もうこれ以上は心の均衡を保てないという苦境にあった時、ある教会の信者に方々に囲まれて涙が止まらなくなった。何かを特に言われたわけでも、私から何かをお願いしたわけではない。皆さんがただ、私のために祈ってくれただけだった。頑張らないと大せつな命を守れないというこの上ない緊張感でひた走っていた日々、ふと訪れる機会があった奈良の唐招提寺で大伽藍を見上げた瞬間の、心の解放感。
世界中で、それぞれの地やそれぞれの民族、歴史上の折々に信仰がうまれ、たいせつにされて人の心の拠り所となっている。それはきっと、人類が人として営みを送る上で、祈りはたいせつな行為なのだろう。
共に子を喪い、長く語り合い・分かち合いの集いをご一緒いただいている方に、ご実家のある遠野に誘っていただいたことがある。その折、「家の墓に参るので、良かったら一緒に」とも言っていただいた。墓参は、彼女と二人だけだった。お宅の墓地は、遠野の、田畑と数軒ずつの集落とその向こうの小高い山とが広がる静かなたたずまいの中にあった。友人は実は、お寺のご住職のお厨さん(奥さん)で、私などと違って信仰と共に暮らしがある。彼女はご両親が眠るお墓に向かい、数珠を手に静かに経を唱えながら頭(こうべ)を垂れる。その合わせた指の先に遠野の緑と空が、しんと蒼い。その空気感に、’鎮魂のための祈り’を、私は少しだけ理解できたかもしれない。
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