いいわねえ…

98歳の義母に会いに、入居している施設に行ってきた。広くてきれいだが、完全な介護施設なので自由に動いている入居者はいなくて、どことなく空気感が重い。

義母はもとより大人しく、自分の意見を言ったことがない。他人との新しい関係を自分から求めたり、いったん離れた人と人をもう一度結んだり、というようなこともしない。いわゆる昔風の女性として生きて、夫に従い、後は子に従い、今はここに到着したのだった。

息子(夫)を見ても名前は出てこないが、「息子だよ」と夫が言うとにっこり笑う。でもおそらくピンと来てないなあ、と感じさせる。「嫁さんよ」と私が笑うと、「夫婦?」と2人を交互に指して、そして「いいわねえ…」としみじみと言うのだった。

いいわねえ、には寂しさや置かれている境遇への不満足感や過去への郷愁が滲む。仲が良いか悪いかは別として、笑いながら並んでいる元気そうな2人連れを見ていると、母として息子たちに振り回されて、それでも楽しかった子育てや、妻として夫と家業に勤しんでいた手応えも蘇るのかもしれない。

人は生きてきたように退出していくのだな、と思う。「ここは上げ膳据え膳でね、ありがたいの」「でも、お支払いはどうしてるのかしら」「私、お金持ってないのよね」と、いつ行っても同じ感謝の言葉と、不安も呟く。私が「お母さん、お支払いは心配しなくていいのよ」というと、「ああ、そうなの?良かったー」と心から安堵した顔をするのだ。家計のやり繰りや、家業の盛衰に気をもんだ習慣そのもので今もいるのだろう。しかし、それでも、経費はいくらか知りたいとも、たまには家に帰りたいとも、決して言い出さない。そうやって、ここまで来たのだ。それでもおやつに出された小さなお饅頭を半分に割って、息子に差し出す。愛も、そのまま。名前は忘れても、子への愛は消えることはないのだ。

また来るね、と言いつつ2人で立ち上がると、また「夫婦?」と訊く。私達が同時に頷くとまた、いいわねえ、とにっこり。小さく上げた掌が、細く頼りなげだった。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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