辛すぎる言葉

自分に、あるいはたいせつな家族にがんの診断がついた瞬間は、文字通り人生の危機と言ってよいと思う。世にいう「頭が真っ白」な状態で、全身に最大級のストレスがかかっている。長く電話相談でがん患者さんとそのご家族の「今の想い」を聴いてきた。「今」だから、既に治って職場復帰しています、という時点でのお話だったりするが、話の必要上、ご一緒に初診時について振り返ることもある。その場合は何年も前の「診断時」なのだが、それでもその瞬間のことはまざまざと心深く刻まれていて、「あの時、ああ私の人生は終わったな、と感じました」とさえ言う人がいるほど、がん診断は衝撃的なことだ。

それでも近年のがん医療はとても前進していて、本当に多くの種類のがんがまず寛解へ、治療を経てやがて治癒へ、と導けるようになっている。しかし多くは治療期間が長くなっている。診断から治療に移り、定期通院となって、やがて病院との縁が薄くなっていくまでが長い。長いからこそその「期間」は、職場や学校や地域での協力依頼の内容も徐々に変化していく日々でもある。この長い時間は、治療によって状態が良くなったり悪くなったり、根拠なく希望的な気分のときもあれば、検査結果が良好なのに苛立ちがおさまらないときだってある。心の疲れが増していくのだ。そのくらい、人生に闘病が加わると暮らしが猛烈に忙しくなり、また、周囲には言えないが出費がじんわり増えていく。知己に助けてもらえない代表格なのがこのお金の問題なのだが、これもまた治療の結果とは別に患者・家族の心に重くのしかかる。

そんな長い、‘重荷を負って往くがごとき’年月、やっかいなのが「良かれと思って言った」(と、顔に書いてある)言葉。そんな善意の言葉は、親戚付き合いや逃げ切れない近所の関係で掛けられる。

がんばってください、(母親に)お子さんもがんばっているんだから。耐えられない試練は与えられないと言います。時間が解決しますよ。応援してますから、前向きに。-、どれも返事のしようがない。

それでも治療の効果が出て結果が良い方に行ったなら、たいていは笑い話にできる。しかし、対応策が全て間に合わず残念な結果になってしまうと、虚しい言葉掛けは「善意の刃」として深く刺さったままになってしまう。

1992年2月の、時折雪が降る寒いその日は息子との告別の日だった。13歳で兄を喪った娘は、兄への思慕を表すためにセーラー服の上にコートを羽織らず、寒さと悲しみ耐えながら全身を固くし、親戚一同から少しだけ離れて座っていた。その娘に、私の母が唐突に真っすぐに言った。「これからは、お兄ちゃんの代わりだからね。がんばるんだよ」。止める暇はなかった。周囲に私の兄弟やその妻たちがいたが、誰もが無言で凍り付いた。もちろん子を守る母の立場の私は、娘とその祖母の間に立ちふさがり「それ以上何か言ったら、出て行ってもらうからね!」。数年の間、娘は私の実家に行かなかった。

がんばれ、耐えろは、どんなに柔らかい言い方をしても、指導・強要でしかない。

深く傷ついている近しい人を見ているだけでいるのは、なかなか難しい。だからこそ「よかれと」辛すぎる言葉を掛けてしまうのだろう。しかし、痛い、苦しい、悲しいは全て当事者なのだ。黙って寄り添い続ける胆力がないなら、そっと離れる勇気を持ってほしい。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

0コメント

  • 1000 / 1000