心のどこかに

昨日、仙台で開催された日本血液事業学会総会に参加してきた。プログラムの中の1つのシンポジウムで講演するためだった。仙台国際センターの広い会場を、たくさんの参加者が関心ある演題の講演を聴くために急ぎ足で行き来していた。ポスター会場には、日本中の血液センターや、中には高校や大学の献血促進サークルも交じって、「より良い献血・血液事業のために」研究発表を掲示していた。どれも熱意溢れる若々しい活動で、これらが日本中で展開しているのだな、と思うと胸がいっぱいになった。あれから30年。時代は本当に前に向かって大きく動いてきて、今もこうして動き続けているのだ。

まだ売血が行われている時代に、息子の病気をきっかけに医療に関わることになった。治療法も骨髄バンクも何もなかった。だから骨髄バンク設立要求運動に走り出さざるを得ず、日本中を訴えて周った。時にその病気の息子に留守番をさせて、走った。骨髄バンク設立請願署名は77万筆も集まり、それを国会の請願課に提出して、時の総理大臣・竹下登氏より「骨髄バンクは必要ですね」という言質をいただいた。それが1989年11月。それから2年後に骨髄バンクは稼働して、でも息子には間に合わず、私は以来「医療(輸血も)を理解して受けることが、より良い闘病につながる」という思いで情報提供活動を営々として続けている次第。その経緯と「いま」を、聴衆である血液事業関係の方々にお伝えし、この良い時代を創ってくださってありがとうございます、と正直な謝意を伝えて終わった。

座長の先生が「質問があれば」と会場に振っていただいたが、私の話に質問はないのが普通なので、直ぐに壇上を降りようと動きかけたら、挙手があった。地方の血液センターでお仕事をされているという女性の先生だった。先生は「まだ勉強中だったころ、『一本の羽をください、翼がほしいから』を読み、感動しました」と、感想をお話くださった。私は演壇から、「覚えていてくださって、ありがとうございます」とお礼を述べた。

学びの場で、仕事関係で、地域活動で、人は人との関係を結び、時に絡まり、やがてほどいて次の関係を築くことになる。時には必要あって、想いを分かち合うグループを創ることもある。命を得るためや、障害を持ちながらのより良い暮らしのために、医療や福祉の場で団体を創る必要があるかもしれない。でもその人の輪もまた時の経過と共に形を変え、解散もある。日々、時間を更新し続けないわけにはいかない。でも、わかっていても時として、何かたいせつなものをどこかに、時間の隙間に置き去りにしたような、深く寂しい想いにさせられることでもある。それもまた、真摯に生きようとすればするほど誰もが抱く共通する負荷ではないだろうか。そんな寂寥に「あなたは今も私の心にいます」というメッセージを届けたい。いま直ぐそばに誰もいなくても、仲間との語らいの記憶、一生懸命に生きた記憶があれば、人は決してひとりぽっちではないと思っている。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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