支え手

ご近所の路地に面した花壇で、背が伸びすぎた菊がうっそうと塊になっている。それが花壇からはみ出して折れ曲がり、今にも倒れそうだ。菊は密集した葉の間に無数のつぼみを付けている。花壇は三階建ての学生向けアパートの壁面に沿っていて、ほかに伸びすぎた紫陽花や千両や四方八方に腕を伸ばしたサボテンなどが埋め尽くしている。

花壇の持ち主は、アパートの経営者の母親であるおばちゃんで、そろそろ90歳になる。1階奥の部屋で一人暮らし。朝と夕方に花壇に水をやるつもりで出て来て、それは寝たきりにならないためにはとても良いことだが、通りかかった人は「あら、どこ行くの?」から始まるお喋りに捕まるとなかなか悩ましいことになる。急いでいようが考え事をしてようが、素通りはできない。しかし、路地に面した家々の住民全員にとって挨拶や会話をしないでは済まさない人がそこにいることは、本当に良いことだ。少なくともアパートの学生たちは、おばちゃんがそこにいる限りは、家主のお喋り相手のご近所さん(私も含む)にも挨拶することになる。

そんなわけで、3日ほど前、私はスチールの花木の支え手を15本ほど持って、おばちゃんの部屋のインターホンを押したのだった。インターホン横に「寝ている時は出て来るのに時間がかかります」と達筆な字でメモが貼ってある。さすがに昔お習字の先生をしていただけのことはある。はいよ、とやがて出てきたおばちゃんに、「あの菊、これから起こして立たせるからね。気にしないで寝ててよ」。おばちゃんは、「あー、ありがと。ありがと」と言いながら奥へ行く。あー、始まったか、と私は思う。手に、いただきものらしい海苔やお茶の箱が。「終わったらもらいに来るから」「それじゃ悪いから」の押し問答に時間をとってから、私はやっと花壇にもどって作業開始となった。

まずは120センチの支え手を一本、菊の根の近くに突き立ててみる。すると支え手は土の中10センチほどでガチっと音を立てて止まってしまった。ああ、やっぱりこんなに浅いのか…。本来、菊は丈夫な植物だ。ここは日当たりも良い。こんな風に中途で折れてしまうのは、土が浅いのではないかな、と思っていたが当たりだった。木も花も、幹や枝が伸び広がるのと同じくらい根が伸び広がってバランスが取れるのだ。花壇を設えた建築関係者の知識不足だ。と、いま理屈を言ってもね、と自分と会話しながら、菊の間近にスチール3本のタワーを2基作った。支柱は1本でも2本でも役に立たない。ここに菊を数束にしてひもで結わえて、と作業をしていたら、菊の間からおばちゃんの手がにゅう!「あ、危ないよ。終わったら言いに行くから、ね」。「悪いねー、悪いねー。水やり頼んでるシルバーの人が、切れ、切れっていうけど、そんな可哀そうな。だけど折れちゃって困ってて、私にはどうにもできず」と杖に寄りかかりながら、口だけはよう動く。そこに雨が降って来た。さすがのおばちゃんも退散し(てくれて)、私もほどなく菊をしっかり起こして、残りのスチールと園芸セットと海苔やお茶の箱を持って引き上げた。

年を取れば必ず人の助けが必要になる。そして、加齢だけではなく、病気でも怪我でも心が折れた時でも、なんらかの支え手がなければ生きられないこともある。しかし支える側にいる間は、強い。私も内心で、なんでも植え込めばいいってもんじゃない、適当に切らないからこんなに繁ってしまったのよ、などと思った。しかし勝手に手を出したのは私であって、向こうから頼まれたわけではない。支えたつもりの強さで、おばちゃんに対して尊大になっていなかったか、とコーヒーを飲みながら自戒した。と、その時、留守電におばちゃんの声が。「悪かったねえ、ほんとうにほっとしたよ。手間賃と費用を払いたいんだけどね」。うーん、これをどうなだめるか、それが課題だ。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

0コメント

  • 1000 / 1000