ごめんなさいね

 水族館に行ったら、水の中の生物を見つめて何時間でも過ごせる。水族館の、水と砂とサンゴなどの色と光(影)に包まれている時の、あの穏やかさはなんだろうか。昔から水族館の空間が好きなことから、つばさ(前身・日本つばさ協会)の起ち上げの記念シンポジウムは、池袋のサンシャイン水族館を借りて開催したのだった。周囲に水槽のある広間で、女性チェロ奏者に演奏もお願いして、とても優雅な(と、主催者は思った)イベントだった。

水族館でも近年は淡水の世界を見せてくれるコーナーも増えていて、日本の川やアマゾンに住む生物にも会えて嬉しい。里山近くの小川を再生している水槽では、水草の豊かな森の間を小さな魚がゆらめいて泳ぐ。これも見ていて飽きない。

そんなこんなの趣向から、去年からめだかを飼い始めた。最初はガラスの丸い金魚鉢、エアポンプが必要だと分かってからは水槽をおいて、5匹のめだかを飼い求めた。水草で小さな世界を作ってあげて、水が濁らないように数日に一度きれにして、「意外に手がかかるのね」等と戸惑ったりしながら楽しんでいた。めだかも水草も餌も、エアポンプのような関連の機材も「魚と水草の専門店」に行って購入するのだが、そこで働く若い店員さん達の知識の豊富さに感心しつつ教えられて、少しずつ我がアクアリウムもそれらしくなってきた。

しかし間もなく、めだかは小さいだけに弱い生き物だ、という当たり前のことに気づかされた。飼い主のちょっとした勘違いやうかつさで、生き続けられないことになってしまう。ある日、一匹が水槽の底で横になっている。あれ?と内心焦って、そっと網で掬ってみたがもう動きそうにない。

ごめんなさいね、長生きさせてあげられなくて。呟きながら外に出て、花壇の隅に横たえて土を掛ける。めだかの寿命は3年くらいというから、うちへ来た時がもう2歳半くらいだったのだろうか。水が悪かったのかな、餌のやり過ぎ?あるいは足りなかったか。しばらく落ち込んでしまった。

でもやっぱり元気に、泳いでいる姿を見ていると、とても嬉しい。ガラスの向こうに緑の水草とめだか達。今年の春は、水草に卵がついているのを発見してドキッとした。あ、ここでも自然の営みが展開している、と思った。そして、管理者としての責任も感じるのだった。春の間は睡蓮鉢に入れて、真夏日になる頃に冷房がある室内に戻して、秋めいて来たころにまた睡蓮鉢へ。なんとかめだかにとって快適なところに住まわせてあげたいとあれこれ工夫しているうちに、なんと大家族になったことか。数十匹が浮草の下を行き交っている。

それなのに、今回の台風が去った後で、何匹も浮いているのを見て愕然としてしまった。「音や振動には弱いですよ」と店員さんに言われたことがある。そのせいだろうか…。台風がこわかったのかな、室内に移すべきだったか、などと思いながら横たわっている子を掬う。めだかを飼う資格なかったか、とまたまた自信を失いかけそうになった。

それでも、ごめんなさいね、と謝りながら、やっぱりめだかを飼うことは続けようかな。より良い環境を創るためにあれこれ工夫することが、たいせつかもしれない。睡蓮鉢の近くの花壇や植木鉢で咲きそろってくれている花々と、それをいつも褒めてくれるご近所さん達の笑顔。その一瞬一瞬の豊かな交情と同じものを、このめだか達からももらい、時に折れそうになる心を癒してもらっている。だからこそ、横たわってしまった小さな命には心からごめんなさいを言おう。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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