プラス・ワン
福井でセミナーを開催して、血液医療と創薬の進展に皆で感動した。苦しい時間を乗り越えた優しいパパさんの話を聴いて、一緒に行った経験者さんと一緒に意気投合。懇親会でいただいた福井の「食」に感動。翌日、駅前でフクイサウルスの真似をして、写真を孫たちに送る。そのまま東尋坊へ行って、東尋坊へ落ちそうになる写真を撮って友人たちに送る。
翌週は、神戸に。血液疾患を含む患者さんの訪問診療も行う赤坂クリニックに、大橋晃太先生(トータス往信クリニック院長)とお伺い。赤坂浩司院長と西川彰則先生(木曜外来)の医療をお聴きして、とてもとても感動。赤坂先生の「血液の患者さんを生かしたい」というお言葉の深さに、何の力もないが血液がんの当事者への思い入れだけは負けないつもりの橋本は、ただただ沈思黙考。
その翌日、岡山県議会議員の小林孝一郎先生にお会いしに、高松の後藤千英さんと一緒に岡山県庁へ。妊孕性(卵子保存・精子保存)への保険適用請願についてアドバイスをいただいた。実は小林先生とは、先生が血液内科医として岡山大学に勤務されている頃、私も講師の1人として招かれたレジデンスカンファレンスでお会いしたことがある。当時から視野の広い行動的な方だとお見受けしていたが、まさかの政治家への転身。さすが!医師という方々の有能さの一端に触れた想い。
翌々日は名古屋で多発性骨髄腫セミナー。ここでも成績向上に感動する。医・薬のたゆみない開発と尽力のお陰である。でもそれはまた、長期医療になったこと=長い闘病生活+経済的疲労、を意味する。新しい時代は次の悩みも生む。ところで、この病院で娘さんが亡くなった方が、ボランティアとしてお手伝いに。さぞ病院へ入るのにためらいがあったことだろう。そして、別の病院でだがご主人を亡くされた方と一緒に、笑顔で患者さんに対応していただけて、深謝。
翌週は、若くして血液がんとなってお兄さんからの骨髄移植で疾患を克服した、画家の宮川サトシさんを囲んでの懇談会。氏はその後お母さんを胃がんで喪うのだが、その別れの哀しさを『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った』(新潮社)に。映画化もされた本著に導かれて、「母の想い・子の想い」をテーマに鼎談を申し込んで快諾された。とても良い時間をいただいたのだった。
その週末、青森県で行われた「骨髄移植を知ろう」(in平川市)での講演に向けて新幹線に。青森駅前のホテルに一泊して、翌朝お迎えの車で平川市へ。27回目という学習・講演会+山田高校の吹奏楽演奏会、とてもとっても感動。先生方の丁寧な疾患と骨髄移植についてのお話と、患者経験と提供経験談、骨髄バンク支援活動の報告。終わってからの青森血液チームの方々との懇親会。地場の「食」の滋味あふれる美味しさ。翌日は棟方志功美術館、三内丸山遺跡で圧倒される。そしてねぶた・ねぷたの生命力溢れるアート感。唄も歌えず楽器も奏でない、今は絵も描かず書も休んだままのど素人は、新青森駅を新幹線が滑り出す瞬間、なにものかに対して脱帽したのだった。
翌日は予約してあった胃カメラ。結果は「きれいです」だったが、麻酔下での検査はやはり疲労するものだ。翌日、会議。翌日も会議。週末はお茶のお稽古にいってから、友誼団体の祝賀会に参加。錚々たる研究者の方々の見識に圧倒される。その帰り道。心身共にぼんやりしている自分に気づく。なんか、自分が重い。夫を誘ってうなぎを食べに行くことにした。誰も、ましてや夫は「疲れているのだから、うなぎでも食べたら?」とは言ってくれないから仕方ない、自分にご馳走しちゃおう。ついでに夫にも。
うなぎを食べたから、一夜明けてシャキッ!
とは、なっていない。この半月、たくさん感動をいただいたのに。笑顔にも、力強い働き手にも、たくさん出会えた。でも、今日は花壇の冬支度のために夏・秋の草花を全て取り払って、土をきれいにして堆肥を…、と思っていたが、もっさりして動けない。
ここで気づいたのだった。ポジティブな時間ばかりを過ごしていれば、心の収支が超過してしまう、ってこと。そして、麻酔下で胃カメラも飲んだ。電話相談で相談者にいつも言っているではないか。「休むように言われた日数に、プラス・ワン、休んでくださいね」。そうだった。プラス・ワン。落ち込んでも舞い上がっても、普通の歩調に整うには、ちょっとした微調整の時間が必要。今日はその、プラス・ワンの日としよう。
0コメント