泣いていいのよ

  10代で小児血液腫瘍を患った、1年近い治療間だったが、見事に疾患を克服した。そんな若者に、今年もたくさん会った。みな元気に、惜しみなく貴重な経験を語ってくれた。「あの治療の日々から15年。遅れた成績を取り戻して進学、目指した仕事に就いてスキルを少しずつ積んで来ました」。

  その後は問題なく…、なんて、はずがない。私にはわかる。

 友人たちが誰も理解できない化学療法や移植の副作用の辛さは、トラウマとなって皮膚感覚のどこかに残る。痛くても苦しくても怖くても、逃げ出すこともできない。自分のせいではないのに、なぜか我慢を強いられる経験は、心を早熟・老成させるのかもしれない。30代という若々しい笑顔の裏にあるセンサーが、普通の倍ほどに鋭敏だとわかる。なぜなら、私は母だから。お母さんには、わかるの、というほかにない。

 その複雑なかたちの傷跡がいまも疼いて、ひとり夜道を帰りながら、さっきまで笑い合っていた仲間との話題とは関係なく、涙があふれてとまらない。

 我慢する力、素晴らしい人達との出会い。得たものは多い。でもたった1つ、失ったものがある。その喪失感は、得たものとの差し引きでは決して埋まらない。100万語の優しい言葉でも埋められず、春のそよ風にも癒されない。

 泣いていいのよ。泣き疲れるまで。だって、それしかない。理屈なんか言わないから。

 もし私でいいなら、いつだってBib hugを。横で流れる涙を見つめるだけでいいなら、何時間でも。一緒に行くよ、それが贈る言葉。2020年も、その先へも。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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