ゼロ歳児の罹患
新型コロナウイルスに、ゼロ歳の子が罹患して亡くなったという報道。それが誰であっても胸が痛むが、ニュース速報が寒風に交じるみぞれのように次々に飛んでくる中での、小さな子の無念な報に、もらい泣きしている。若いご両親は、さぞや悲しかろう。お二人共に陰性だそうだから、何らかの瞬間にあかちゃんだけがウイルスに接してしまったのか。親御さんたちはどれだけ自身を責めておられるか。
自分が悪いのではない、自分を責めないで…、なんて慰めをいいたいのではない。子の厄災の前に成すすべなく立ち竦んだ経験を持つ身として、深く、深く共感している。
仕方ないのだが報道は、濃厚接触者が何人とか、両親は陰性とか、若い層は悪化しないとされてきたがゼロ歳児で死亡が発生とか、その事実の列挙で終わり。それは、仕方ない。でも悲しくてたまらない。
大騒動の中では、1人ひとりの想いは〇分の1となってかき消されがちとなる。それを私たちは、本を読み、先達の話を聴いて歴史の大河を少し後ろに振り向いただけで、知ることができる。でも一方で、私には命の危険を乗り越えた経験を持つ仲間がたくさんいるから、1人の命は地球よりも大きいことを実感することができる。それはたいせつな事だ。命が〇分の1であってはならない。〇分の1にならないように考え、その想いを伝え合い、できることで頑張ることで支え合えば、ひとり1人の中に地球が宿る。世界は全ての人の中に在り得る。
いま私が運営する血液情報広場・つばさは、多くの臨床現場におられる医師の方々と今年のセミナーの企画を進めている。大変な状況下で医療関係者が仕事に忙殺されている様子が実感されるが、座長や講師の先生方が「開催できることを期待して、講演準備を進めます」と応じてくださる。スタッフボランティアとして協力する仲間からも、身動きできない今だからこそここでできることを、という想いが伝わってきて温かい。この熱量をいただいて、今こうしている間にも疾患の悪化に怯える人達のために、どうやったら良い情報を届けられるかを考える力にしよう。
そして、心身に余裕をいただいて、ゼロ歳で亡くなった子と親御さんたちを想って、共感の涙を流そうと思う。
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