スーパームーン
晴れて温かい春の夕刻、まだ日差しが薄く残る水色の空に、スーパームーンが浮かんでいる。夏場いっぱい咲いてくれる花を植えるために、極力人出が少ない時間を狙ってホームセンターで鉢を買い、学習院女子大学の風情あるレンガ塀に沿った長い道を、比類なく美しい白い円形に魅了されつつ歩く。
人類が登場するはるか前から地球を見つめていた、月。その穏やかな丸さの中にかぐや姫がゆったり座り、ウサギがのんびりと餅をついている。
お客がいないからか、休憩時間だからか、タクシーの運転手さんが車を降りて車道側に立って、じっと空を見上げている。新型コロナウイルス感染症の問題があふれる今、あの方は何を思ってスーパームーンを見つめているのだろうか。
人類にとって未知のウイルスは、「未知」であるだけに恐怖だ。どう扱えば良いかが誰にもわからない。正体とワクチンと治療薬。それさえわかれば、怖くなくなるだろうけど、それまで山も谷もあるはず。それまでどのくらいの時間がかかるか、わからない。この、出口はいつみえてくるのだろう、という先がわからない不安感は厳しいものだ。
そんな「いまの人類」の「いま」を、淡く空に浮かぶ夕刻の月が見つめている。
どこで読んだか失念したが、地球誕生から今に至るまでを1年間に例えるなら、人類誕生はやっと12月31日の夜の11時半過ぎ、と読んだことがある。そんな悠久の時の流れを想いながら月光に身をゆだねてみると、緊張感が少しほぐれる。そして、こうして月を見上げて、日本中・世界中の友人たちが同じようにおおらかな光で包まれ癒されるよう願うことを、祈り、というのかもしれない。信仰を持たないので祈り方を知らないが、神々しいとさえ感じたスーパームーンを見上げながら、祈りとはきっとそんな心のあり方を言うのかもしれない、と思った。
帰ったら手を洗って、遠くに住む友人たちにメールを送ろう。優しい、力まない、穏やかな言葉が浮かびますように。
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