Good distance!

読書やパソコンに向かっての仕事で、全身が凝り固まる。もちろん、好転が見えない事態の現況に気持ちもかたまり気味。そんな心身をほぐすために、日に1万歩くらいは歩きたい。やむを得ない出勤や買い物目的の人が(おそらく)少ない午後2時くらいに、マスクとサングラスで口と目を覆い、人混みをどう避けるかを念頭に家を出る。

しかし、路地から大通りが見えて来たところで、激しく頭が混乱してしまう。今日もまた変わらず賑やかなのだ。交差点の信号で立ち止まって、呆然とする。腕を組んでおしゃべりしながら歩くカップルや、ペットボトルの飲料を飲みながら歩く若者。なにより、マスクなしのジョギングにはぎょっとしてしまう。スクランブル交差点が歩行者のために青になると、一斉に四方から人と赤ちゃんが乗ったバギーなどが渡り始め、ジョギングの老若男女が走り、自転車がハイスピードで走り抜く。

大学近くの大通り交差点だ。いつもならこんな程度ではないほどに、若者がてんこ盛りである。それに抵抗感はないのだが、新型コロナウイルス感染症に感染しない・感染させないためには、ともかく人と人が接しないこと、と理解している今は、とても怖い。ウイルスは本当に微小だから、感染した人からあふれて、軽く、軽く、飛散してしまう。医療者が完全防備で、場合によってはゴーグルまでするのはそのためだ。専門家が「ともかく今は、人に会わないで」と警告しているのも、理由は「このウイルスは人の中でしか生息(活性化)できないから、人めがけて飛ぶ」からだ。

でも気持ちを落ち着けて見れば、警戒を無視しているの?と感じられる人の間を、きちんとした防御をした人がほかの人に接しないよう足早に過ぎて行く。そして、その人数の方が多い。歩道で向こうから人が来るとき、こちらが歩道からはみ出しそうになるほど道端に寄ると、あちらは建物の壁を削りそうなほど反対に寄って行き違う。そんな時、Good distance!と声を掛けたくなる。日本語で、いい距離、ありがとう!と会釈を交わすのはどうだろう?もちろん、シャイだから、やらない。

散歩に‘もれなく付いて来る’連れ合いにそれを言ったら、次に遠慮なく道幅いっぱいに広がっておしゃべりしながら通り過ぎた女性たちに向かって、マスクの中で小さくなにか呟いたようだ。「え?何か言った?」と訊いたら、「聞こえないように、Bad distanceと言ってみた」と、あほなことを呟いたのだとか。意味がない…。

あのね、と、したくない説教に。「メッセージは、これはいいと思う水準が同じ人同士が送り合うのが効果的なのであって、そうではない、違うなあと思う人に向かって熟慮なく声を出すと、それはほとんどが怒りや嫌味になってしまう。SNSで炎上するって、多くはそういう場合じゃない?その場合は、黙る。心に留めないのがお互いのためじゃないのかな」。

相方は「そうだねえ」と素直に頷いたが、あっさり認めるくらいなら、いくら聞こえないようにしたとはいえ、ばかな発言はおよし。相手が屈強な男だったら押し黙っていたんでしょ?このご仁とのDistance、それこそが平常時でもむずかしいのだ、と思ってしまった。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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