どうぞ
朝早く、お昼前、午後やや遅く。どの時間帯なら人通りが少ないか、毎日のように様子を見ながら早歩きでおよそ8,000歩。マラソンも水泳もしない私は、そもそも肩こりや腰痛を和らげるための運動といえば、歩く、だけ。そんなわけで、新型コロナウイルス感染症の問題が発生するまでは、朝と夕刻に家を飛び出して、目にもとまらぬ(と、自分では思っている)速さで歩いていた。それで日に12,000歩くらいのカウントだった。でも今、歩道も公園内も譲り合わなければ、と思う。だから散歩は日に1度に遠慮にしている。
「可能な限りテレワークを」と言われ始めた頃は、家人を運動させる意味もあって2人で歩いていたが、4月半ばからそれはダメと理解して1人で歩くようになった。複数で歩けば、どうしても少しは会話することになる。ウイルスが人から人へ移動する手段は、感染者の粘液に交じって飛んでいくしかない。それが、人と人がお互いに腕を伸ばしてその手が触れない距離を空ける理由となる。だから、戸外で会話は避けるべし…。わかっているだけに、歩くだけでも緊張感は高い。前から人が歩いて来ればその人と反対側によって距離を空け、マスク無しのジョガーが走って来れば、慌てて建物にひっつくようにして行き過ぎるのを待つ。研究者のコメントによれば、ジョギングの背後は(飛沫が特に多いので)10メートル以上空けた方が賢明、とのことだ。あれは?若い男の子数人が、歩きながら食べたり飲んだりしながらおしゃべりしている!この信号を渡ってしまおう…。つ、疲れる。気持ちが、とてもこわばっている。自慢の早歩きが、まるで逃げ足のようだ。
そんな朝の、散歩の帰り道。ふとコンビニエンスストアの外に玉すだれが積んであるのに気づいて、足を止めた。私は普段めったにコンビニに入らない。用事が無いのだ。とても昔から、生鮮食品も生活用品も生協に注文して宅配で受け取る。でもその時の玉すだれは、めだかを泳がせている睡蓮鉢に掛けるのにいいな、と思ったのだった。玉すだれを1つ持ってコンビニに入ろうとしたら、若い女性が立ったままスマホに見入り、入り口をふさいでいる。近づくわけにもいかず、待つ。無神経に見えるその様子に、また少しだけ気持ちが尖る。中に入ると、レジの前に手に商品を持った男性が1人。私はその後ろに、必要と思われる間を空けて、とても狭い棚と棚の間に立った。ビニールカーテンの向こうにいるレジの人が、その男性の商品を受け取ろうとした瞬間、その人はちょっとだけ横にずれて、追加の品を取った。何かが目に留まって、ああ、これも買おうかな、と思ったようだ。私はそれを待って、動かずにいたのだが、彼は私に気づいて「あ」と呟き、すみません、と慌ててレジから離れた。「いえ、いえ。お先だったし、かまいませんよ。どうぞ」と私は当然と思ってそう言って、頷く。すると彼は、ありがとうございます、とこちらに向かって会釈したのだった。マスクをしていても穏やかそうな表情が見えた。彼が去ると、店員さん(こちらは、50代くらいの男性)が、どうぞ、と私を促す。その声も心なしか優しい気がする。わずか1分くらいのことだったが、それは私に視線を合わせて挨拶する心地よさを思い起こさせるのに充分な時間だった。もう1つ、誰もがこの事態にじっと耐えている仲間だ、ということにも。
玉すだれの入ったレジ袋を提げて、家への坂道を少しゆったり歩く。人を避けて歩くことに変わりはないが、お互いを守るために「今は」距離を置きましょう、という本来の意味を想う。そう、今は。明日をゆったり夢見ることを、忘れちゃいけない。
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