時を越えて

  6歳の少年へのプレゼントに、と思って、私は書店の児童書コーナーで『モモ』を探していた。少し早いかなと思いつつ、彼の書架に『モモ』があれば、いつか心の糧の1つになっていくにちがいない。『14匹のねずみ』シリーズは既にすべて収まり、繰り返し読んで10匹の子らの性格まで彼は知っている。『100万回生きた猫』の、主人公のどら猫の‘幸い’に共感するのはいつだろう。おそらく私がこの世を去り、はるか先に年月が経った頃だろう。『木を植えた男』はこれから彼にプレゼントする予定の、私の愛読書。『モモ』は、彼のママが「まだ早いかな?」と迷っていたが、「本棚に並んでいた方が良い1冊じゃない?」ということになって、買いに来たのだった。

  近年は絵本、児童書の出版が賑やかで楽しい。背表紙には、どれも魅力的なタイトルが並んでいる。楽しみながら眺めていて、ふと1冊の本の背表紙で私の手は止まり、時も止まった。

 『おっちゃんの長い夏休み』(岸川悦子 金の星社)は、信楽焼の陶芸家・神山清子さんの息子、賢一さんの生と死と検体がテーマの児童書なのだが、私はこれを書くにあたっての岸川さんの取材に同行したのだった。

  私は骨髄バンク設立運動のご縁で、何度か信楽を訪れたことがあった。若い神山賢一さんが、陶芸家として生きようとしていた。窯変天目茶碗と、それを焼いた窯を見せていただいた。いわゆる信楽焼を焼く穴窯とは別物だった。そして、賢一さんが最愛の母の懐から天へと旅立ってしまってからは、その母に会いに何度か信楽を訪れた。その都度、工房の土の匂いに圧倒されたものだった。

  その何度目かの訪問が、20年前の岸川さんの取材同行だった。寸越窯では、滞在していた4日間のうち3昼夜、火が炊かれていた。窯の中には数々の壺や器が焼しめられつつあった。窯は最高潮に温度が上がると1,000度を越えるのだとか。神山さんは火を見つめながら、岸川さんと私に、それだけの高温にするには薪は松でなければならず、約2週間炊き続けるために使う薪代は数百万円という話もしてくれた。焼け具合が気になり続けて、「火を炊き続ける合間の仮眠中、夢の中で時々、あの窯の中に入っていく」と笑ったことも。土を選び、手をかけ、火に仕事を託す。あまり話し上手ではない陶芸家の、迫力ある吐露を聞いて唸ったものだった。

  寸越窯を覆う小屋の屋根に、窯の火が立ち上る煙突がある。薪を放り込むと火の手が上がる。それがおよそ2週間続いて、最後に焚口といくつかある煙出しの穴を、こねて置いた粘土をお弟子さんと息を合わせて、たたきつけるようにして一気に塞ぐ。そこでもたつくと、消えた薪の煤が焼き物に付き過ぎて、くすぶった物になってしまうのだとか。そうして数日、自然に冷えるのを待って、ようやく信楽焼が完成するのだ。寡黙な火の芸術家、神山清子さんが「炊き終わって火が消えると、本当に寂しくなる」と呟いた。

  本の中には、時も空間も造作なく収まり、花は咲き続け愛は冷えることがない。岸川さんが紡ぎ取ってくれた物語に、2020年6月の書店で私は邂逅することができた。近いうちに、神山さんに会いに行こう。この一冊を胸に抱えて。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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