新聞

毎朝届く新聞が本当に楽しみ。第一面でトップ記事の見出し、その左や下の記事の見出し、社名下のコンテンツをなぞって「今この新聞社からみる日本」を確認する。この紙面の編集・記事執筆に関わる人達は、どのくらいの人数なんだろう、といつも胸が熱くなる。2紙並べれば、現政権や行政への意見や感想に微妙な温度差があることがわかる。そこに、日本という国の自由な機運も感じる。

新聞は、記者さんが記事を書いてそれを編集が確認し、紙面構成へと向かう、のだと思う。プロの校閲者も目を通す。つまり、記事執筆者だけの「書きっぱなしでの発信」はない、とのこと。そこが個人のパソコンやスマホから発信される膨大な量のTwitterの文章などとは違う、信用度の高さなのだろう。それが毎朝、ポストに届くのだ。なんという贅沢だろうと感謝しつつ、1面から2面、3面へと全体を開く。新聞紙特有の手触りを感じながら、脳が目覚めていく。新しい印刷物の匂いとともに、今の日本と世界が紙面に広がっている。そして最初に読むのは、第一面下方にある「コラム」。そのコラムには、当該新聞の記事全体を把握したベテラン記者さんのことばが柔らかく表現されている。時に異論を感じることもあるが、それもまたヨシか。自由なんだから。

最近の私の夢は、私が何らかの拍子に大金持ちになったら(あり得ないから、夢なのだが)、全国の高齢者施設に新聞を提供する法人を創りたい。日本の三大紙と言われる各紙と、そのエリアを代表する地方紙をプラスして。今、義母がお世話になっている施設には(その前に居たところでも)新聞が置いてない。図書館にある、あの新聞購読コーナーのような架設がない。それどころか、老眼鏡も禁止されている。置き忘れてしまったりしてトラブルになるから、らしい。義母を最初に訪ねた時にその実態を知って、愕然としてしまった。たしかに高齢者施設に入る人達は、状態としてはもう身体も動かず新しい予定も立てられないかもしれない。それでもぜひ、自分と、自分に繋がる人達がいまどんな世界にいきているかを感じてほしい。毎朝(時にお昼くらいになっても)新聞を開いて、あるいは開かなくても横に置いて、見出しの一部でも目に入れられたら、と心から願う。それができない高齢者対策を、私は「文化的姥捨て」と感じるのだ。

新聞という文化活動の「いま」が、今朝もポストに届けられる。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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