「ヨットで渡米」は無理でも
今年も日本を襲ってきた豪雨と河川の氾濫という水害に接して、すこし古くなった話題が脳裏に浮かんだ。若干16歳の環境保護活動家のグレタ・トゥーンベリさん(スウェーデン)が、ヨットでアメリカ大陸に渡って国連の気候サミットに参加した。飛行機なら、スウェーデンからアメリカまで数時間だろう。しかし、ジェットエンジンの二酸化炭素(CO²)排出量の大きさは、いまや衆知の事実となっている。地球温暖化防止のための一連の抗議活動や発言で既に環境保全活動の象徴となっていた彼女のヨットでの洋上移動は、とても効果的な「環境保全のたいせつさ」を訴える表現となった。あれからも私たちは地球温暖化を止めることができないでいる。アマゾンでは火事が多発し、北米でもオーストラリアでも怖くて似たような森林火災が多発している。燃える森の様子をニュースで見ているだけで息苦しくなった。そして、日本という緑豊かな大陸から離れた小さな列島でも、ここ数年の間に深刻な豪雨被害を複数受けた。
しかし、皮肉なことが起きた。新型コロナウイルスの感染を防ぐために先進国の経済活動がストップして数か月、世界中で青空が戻ったのだった。インドでは大気汚染で長い年月みえなかったヒマラヤが、市街地の向こうに美しい姿を見せた。いっぽうで研究者によっては「これは一時的なもので、環境汚染による地球温暖化阻止には無関係。直ぐにまた同じよ状態に戻り、‘社会活動の仕組みの変化によっては’前以上にCO²の排出量は増えてしまうかもしれない」と言う。豪雨も森林火災も止められない、というわけか。ヒマラヤもまた間もなく、黒ずんだ大気にかすんでしまうのか。
だが、と思う。ヨットでアメリカに乗り込むほどの素晴らしくインパクトのある行動はできそうにないが、私は本を読む。人後に落ちない読書量で、世界の人々の暮らしと大地に深く影響を残してきた事実や活動を少し知っている。知っていることは力となるはずだ。だから人類は事実を集積し、後に伝えるために記録をし、図書館という知の宝庫を造り続けて来た。
早稲田大学の一角にレバノン杉が緑の枝を広げている。勇壮な逞しい枝ぶりに大樹が持つ力をいただけて、下を通るたびに癒される。古代、レバノン杉の森が中近東一帯を覆っていたそうだが、エジプトやメソポタミア時代からの伐採でほとんど消失してしまったという。森の名残がレバノンの山脈の一部に残っているだけだ。レバノン杉は材質の良さから、燃料はもちろん、ガレー船の建造にも欠かせなかったとか。ガレー船は戦闘にも、貿易という権力者の経済活動にとっても重要だったそうだ。それはのちの化石燃料(ジェットエンジンも)が世界大戦でも頻発し続けている各地の紛争でも必須で、結局はCO²排出の大立役者となっていることに似ている。結局、力ある者が進めてしまう地球温暖化の前では何もできそうにない。そんな無力感に陥った時に思い出したのが、絵本『木を植えた男』(あすなろ書房)だった。レバノンが舞台かどうかわからないが、戦争で荒れた果てた山肌に一粒一粒樹木の種を撒いて、やがて緑の渓谷をよみがえらせた人の物語である。史実をもとに描かれたというこの本を読むと、森を抜けていく風のささやきが聞こえて幸せになる。来る日も来る日も誰に知られたいとも望まずに木を植え続けた人に私の想いも励まされて、無力感から救われる。いやきっと私にも何かができるはずだとも、思わせてくれる。
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