「ヨットで渡米」は無理でもー2
知ること・気づくことは何よりもたいせつだと思う。北欧に住むひとりの高校生が地球温暖化について行動を開始したのも、いま自分が住まう世界で何が起きているかを察知したからだろう。ともかく、知った(気づいた)のだ。「温暖化加速中」の事実を認識してこれではいけない、という危機感をいだいた。脳裏を激しく叩いた危機感や正義感をどう表現するか、100万人いれば100万通りのやり方があるはずだが、ともかく彼女なりに行動に移した。その「行動」を、彼女に備わっていた発言力や家族構成やその家族の持つ理解力、家族とその友人たちが培ってきたネットワークなどが強力な後押しとなった、と理解できる。その集結したエネルギーがヨットでの渡米というメッセージ性の高い行動となった。
次に大事なことは、それを世界中が知ったことだ。SNSで世界中に伝搬して、日本の片隅で地球温暖化にやはり心を痛めている(つもりの)私も知るところとなった。そうして、考えている。私は非力なんだろうか。なにか、できないか。せめてプラごみを出さないように、買い物袋を持ちましょう、と言ってみても、もう10年も前からそうしているので、協力した満足度はプラスにならない。それで焦った次第だが、『木を植えた男』を読み返してみて、基点に戻ることができた。ヨットでの渡米の事実を「しっかり」知ること。数多あるニュースとして看過するのではなくて、立ち上がり議論の種を撒いたひと、として認識の1つに加えることだ。同じことはできないが、それではどうするか。今、私の為すべきことを知って、小さな結果でも成していけるよう、昨日までの続きを明日へと、粛々と進むこと、かもしれない。
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