憧憬・音楽
FMラジオでシューベルトの「菩提樹」を美しいバリトンで聴いている。著名な音楽祭で収録されたという音源だそうだ。世界的に認められている歌手。ということは、幼少期から恵まれた音楽的環境に育ち、一流の教育を受けて、私のような素人の音楽好きでも耳にしたことのあるコンテストを勝ち抜いてきたのだろう。その半生を想像するだけで気持ちが豊かになる。
あこがれの指揮者・大友直人さんと、新幹線でお隣になったことがあった。どきどきしてしまった。大友さんは楽団のお仲間と思われる方々とご一緒で、通路を挟んだ席の方々と楽曲の打ち合わせをされていたが、やがてスコアを取り出して、ずっとそれを見つめていた。私はかなり疲れていたので不覚にも爆睡してしまったのだが、品川を通過するころから富士市くらいまで眠って目を覚ますと、大友さんはまだスコアに没頭されていた。ほんのたまに交響曲を聴きにいって、完成された演奏にうっとりさせていただくが、あれはこうした時間を経て準備されるのだな、と感動させていただいた。
音楽家(歌手や作曲家や演奏家)の会話にも、いつも魅了される。「このコラボ、いいねえ」「そう!3人が生きて、熱い」。そんなやりとりは、音痴で楽器は弾けずもちろん持たず、歌えば沖縄民謡も昭和歌謡か?となってしまう私には、天井から降りて来たミューズたちの会話に聴こえてくる。
太古のひとびとは、音と生活はどう関連していたのだろう。絵のように描く(刻む)芸術は壁や大地に遺されているが、音はそうとう近年にならないと残す方法が生まれなかった。アイヌの人たちの歌声が蝋管レコードに遺されているのは有名だが、それも19世紀になってからだ。楽器はおそらく、草笛や角笛などが連絡用に使われ出して、やがてそれが音楽を奏でるようになっていったのだろうと思う。歌も同じように、声や口笛の遠方への連絡方法が先だったかもしれない。そのうち、集落の人々をうっとりさせる声の持ち主が、風や水の流れをバックに詩のような言葉を吟じたのが歌の始まりかもしれない。
演劇、音楽、舞踏、書、造形。人を魅了できるって、いいなあ。…何もできない。でも、そうそう、絵なら少し描ける。久々に絵筆をもってみようか。
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