やさしさ、って?

辛くて悲しくてやりきれない時、おそらく言葉はあまり役に立たない。強い痛みのような身体的に苦しい状態なら、言葉がむしろ不要なのと似ているかもしれない。

 長く続けてきた「電話相談」で、もっとも難しい対応技術は、聴き手(相談員)から語り手(相談者)への声掛けだと、今も思う。電話は声を発し続けなければ成立しないツールなので、「黙って寄り添う」はあり得ない。ではどうするか。長い説明が必要だが、無理に一言で表現してしまえば、「間」。語り(「訴え」や「嘆き」、ほんの時々「おえつ」)を受け止めながら、かける言葉を脳裏でまとめて、最初の声をかけるまでの「間」が極めてたいせつ。この「間」に、あなたの苦しさや悲しさを受け止めて理解した、というメッセージが込められる。この「間」ののちに最初の声をかける。そうですか…、怖かったですね。うーん、辛いですねえ、それは。

 治療法についておしえてください、副作用の種類を知りたいのですが、等の具体的な質問をしてきた場合でも、相談者の言葉が終わるよりも早く「それはですね」と切り出してはいけない。じっと相談者の質問(らしき話)を聴きながら、最優先で知りたいのが質問への答えなのか、がんにも負けず踏ん張っている現状を聴き取ってほしいのか。前者だと判別できれば、質問の中身の整理にかかる。「疾患の最新の治療法ですね」と確認してから、提供できる資料をみながら一先ず伝えるのが、電話をしてきたNeedに応えられるというものだ。しかし、よくよく受け止めてみれば、医師との外来での会話がうまくいってない(と相談者は感じている)ことを、第三者に受け止めてもらい、その上でどうすべきか一緒に考えてほしいのかもしれない。そう理解が進んだのであれば、2秒の間ののちに、「治療法について、先生からはどう説明されてますか?」と確認することから始める。

 整体、鍼、マッサージ。街の治療師に対応してもらう心地よさ。ほっと緩んだ心身で帰りながら、ほぐれたのは肩や背中だけじゃない、と感じている。それはおそらく、治療台に横たわってから終わるまでを「全て利用者の時間」として、向き合ってもらえるからだと思う。痛いのは?ここですか。なるほど、凝ってますねえ。治療師の理屈はない。ただただ利用者の訴えに向き合って、否定せず、頷きながら施術にかかる。もうそれで、運んできた凝りだの痛みだのの半分、治ったようなもの。

 仕事の対象、家族のように近い関係、近隣の知人。その関係者の誰かが、「いま、辛い」ことに出会ってしまったら、どうしたらよいだろう。だいじなことは、その人のそばに黙って座る(立つ)時間をおそれないことだ。言葉はない、とわかっておくこと。親切なのは、優しそうな言葉をかけることではない。「間」に耐える勇気をもって、そばに居続けることだと思う。何を言ってほしいか、ただ泣かせてほしいのか、「間」に耐えながら見極めることだ。その耐える勇気を、胆力という。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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