やさしさ、って? -2
新型コロナウイルスの感染者が増え続けて、一日の始まりにその数字を目にするたびに落胆してしまう。国内の数字はもとより、医療体制の脆弱な国やエリアでの感染爆発にも、本当に心が痛む。よりによってそんな時、‘美しい海’で世界に心理的安らぎを提供し続けて来たモーリシャス沖で商船三井の船が座礁してしまった。みるみる内に重油が流れ出し、浜辺まで押し寄せてしまった。黒ずんで死んだ魚の映像が胸を打つ。海洋汚染、温暖化で溶ける北極や南極の氷、強い反対の名で埋め立てられる沖縄の美ら海。そんな現実から私たちの心を救っていた1つが、モーリシャスの美しさと平安だった。
昨日、小泉環境大臣が靖国神社に参拝したニュースを見ていて、強い違和感を抱いていた。靖国神社に政治家が参拝することに意見があって…、ということではない気がしていた。なぜか、いつもと違うがっかり感があった。その答えが今朝の新聞報道にあった。「靖国に参拝するのではなく、モーリシャスに飛んでいくべきだった」。そう!そうだったのだ。あの浜に立って、暑さの中で押し寄せる油の匂いと息苦しさを体感してほしかった。
小泉さんはまだ若い。囲む大人たちが彼の立場を支えているはずだ。その囲む人達は、何をしているのだろう。本人も含めて、新型コロナウイルスに感染しないで済む環境の中だからこそのゆとりをもって世界を見つめられる立場にあるはず。その囲む大人たちの誰一人として、今こそ行くべきだ、と助言しなかったのだろうか。
医療現場を少しだけ知っている。医師も看護師もコ・メディカルの人達も、目の前にいる「病む人」「痛む人」に直球で対応している。その「今」の対応の総体が医療の明日を創っている。教育関係者が言った「今でしょ?」は、良い表現だと思う。病む人を囲む現場医療では、思想だとか人種だとか、問わない。医療者というのは、本当にやさしい人たちなのだ。医療教育は(おそらく)先ず人間の身体を見つめて、それを治し、癒そうと思わずに動く本能を鍛えるのだ。思わずに良かれと動く。それこそがやさしさだと思う。環境大臣が「今の事実を見つめに」行こうとしなかったことが、残念でならない。
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