この時間
住まいのある新宿区は、遠方の人がイメージするのは歌舞伎町(東口)や都庁とその周りの高層ビル群(西口)などだろうか。いずれにしても日本有数の繁華街であることは事実だ。そして新宿駅は、一日の乗降数が世界一の353万人。私は一番乗降客が多いのは東京駅かな、と思っていたが、新宿駅だった。今はもちろん新型コロナウイルスの拡大を収束させるため、皆で協力中だから、西口中央口広場を行き交う人の数も少なく見える。なにより、あまり外国語が聞こえない。
そんな新宿の中心部から、ずっと離れたところ、都庁からなら歩いて30分以上かかるところに住んでいる。近くは戸山丘陵に広がる都立団地と、その(うちからみて)こちら側には戸山緑地が広がり、続いて早稲田大学があって、そこを通り過ぎてなお進めば神田川が流れている。戸山緑地は戦前まで広大な練兵場があったところだ。昭和11年に起きた2・26事件の朝、兵士たちはここに集結して蜂起へと向かったのだそうだ。練兵場の一角は現在のJR高田馬場(当時は省線高田馬場駅)まで広がっていたようで、実はこの雪の朝、私の母(大正5年生まれ)は「省線の中から見た」と語っていた。若い母は、前夜に高円寺にある友人宅に泊まって、成増にある姉の家に帰るところだったのだという。「どうしてあんなに将校さんが集まっているのかな」と思ったそうだ。かたや絹の着物を着た若い女性、かたや農村などから入隊していまは冷たい雪の中で集合している若い兵士たち。家では母を「2・26を見た女」などと言って、この「歴史の目撃談」を笑い合った。しかしこの事件の全容を少し理解できるようになったころから、この話のたびに私の胸はちくっと痛むようになった。いま戸山緑地は散策や球技を楽しみ人達でにぎわい、時には流鏑馬も行われる。緑地を通りながらいつも「時代は良い方へと流れているだろうか」と思うことがある。
緑地の続きのように早稲田大学(文学部)があり、早稲田通りを挟んで本学(大隈講堂もある)と続く。その本学の一角に、大隈重信の邸宅跡地がそのまま緑あれる庭園として残されている。築山や池、小川も泉もある。広いせいか、奥へと入ると本当に静かで気持ちが良い。この庭を借景として、リーガロイヤルホテル東京があるのだが、一階のラウンジでこの庭を楽しみながらいただくお茶は本当に格別。そんなわけで、今日はどうしても対面で話合わないとね、という関係者のみなさんのために、ここのラウンジを予約したのだった。
ホテルのラウンジだから、もとよりテーブルとテーブルは離れているので、会議がほかのグループに迷惑になることもなく、私たちも他が気にならない。活発に議論は進んで、皆で残りのお茶を飲み干すころ、誰ともなく「素晴らしい庭。三か月ぶりくらいに気持ちがゆったりしました」とほほ笑むことになった。時は必ず流れることを、歴史が物語っている。たまたま、こうして、ご一緒するのも他生の縁。出会えた「この時間」をたいせつにしたいと思う。
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