新聞‐2
新聞が届くことが当然の暮らしを数十年も続けてきた。朝と夕方、ポストを開けた時に見る新聞には、特別な存在感がある。世界中、日本中の「いま」が詰まっているのだ。これだけの記事を書いて編集して印刷して、という業務を毎日こなしている。その事実を思うだけでも、朝と夕にぱりぱりと新聞を広げるとき敬服してしまう…、ということは以前にも書いた。
しかし、とても残念なことに、うちが取っている新聞の販売店は、欠配や誤配が時折あって、「今日はお休みではないですよね?」とか、「夕刊が来てないです」などと電話をすることがたまにあった。過去形なのは、実はそのことに疲れてしまって、配達をついに断ってしまったのだった。
気づけば、我が家から2分ほど歩けばコンビニが3軒ある。そこに朝の散歩代わりに買いに行くことにしたのだ。それであれば、時には2紙、3紙を自由に選ぶこともできる。今のところはこのスタイルで、ほぼ満足している。ただし、夕刊がない。コンビニなどでは、夕刊は置かないことがわかった。夕刊はほぼ全面的に特集で、独特の紙面づくりになっていて味わいが深くて、それが読めないのが今はとても寂しい。
ところで、ふとご近所の様子に耳をすませば、新聞配達員さんが自転車やバイクでここの路地に出入りしてない。お隣はうちと違う新聞の配達員さんが来ていたが、2年くらい前からみかけなくなった。ほかのお宅は皆さん、電子版で受け取っているのだろうか。電子版でももちろん良いのだろうが、私はやっぱり折りたたんだ新聞をゆっくりと広げて、インクの匂いと共に広がる世界を視野に朝のコーヒーを楽しみたい。夕刊も読みたいし。そろそろ違う販売所に頼んででも、新聞を取ることにしよう。
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